ジョンヒョンの死から考える韓国社会にはびこる他人への無関心

ファンの方も多く書かれていますが、なぜジョンヒョンの自殺を止められなかったのかということです。結局誰一人として理解してくれていなかったということへのショック。多くの人に愛されながら、それでも孤独だった、と。ファンは、気づいてあげられなかったことを後悔しています。でも気づいてなかったのではないと思います。無視してたんです。
「他人の人生は負いきれないから深入りなんてするのは愚かだ。他人への無関心は賢明であり、関心は愚考である。」という考えがはびこっている社会では無理だと思います。






気づいていなかったわけではないんです。精神科にもかかっていました。先生への失望も描かれていますが、先生に対しては、ジョンヒョンのことを説明している客観的な自分でいたのかもしれません。芸能人的な悩みを相談したとしても、「それはどんな芸能人でも持つ悩みだよ。」といわれ、それに勝てないのは自分のせいだよと言われているように感じてしまったのでしょう。助けてくれるはずの精神科医が助けてくれるはずの綱を切り放してしまったことが愛からの断絶の一つでしょう。

遺書を受け取ったナインも同じ音楽を作る人ですし、モノを生み出す者同士、苦しさまでは理解していてもまさか一線を越えてしまうとはと思っていたのかもしれません。

ただ、一つ書きたいのは、このような寂しさは韓国社会全体が持つものだということなのです。社会全体が持つからジョンヒョンが悪いんだということではありません。ジョンヒョンが「結局悪いのは自分だ」と結論付けてしまっていますが、決してそういうことではない。だからといって、なんでもかんでも「国のせいだ」と結論付けてしまうのも違います。

韓国という国自体が誰もが無理をしながら生きている社会です。大陸のメンツの文化そのままに、自分のできる生活よりも少し大きい生活をすることがはびこっており、自分の持てないブランドものであっても少し無理して持つのが韓国社会なのです。

みんな無理をしているから精神科に言っても「みんなそうだ」と言われておしまいだったわけです。じゃあもうみんなそうなんだったらやっぱりみんな苦しいんだよ、そんな自分の苦しめ方はよくないんだと私は感じるんですがね。

このような息苦しさは、マスコミで言語化されることが多いですよね。韓国社会は多くのマスコミが左派傾向であり、社会の不満を国のせい(朴槿恵の政権)だと運動し、政権下ろしをしたのは記憶に新しいですが、同じように社会の文句を言うことが許され、むしろ歓迎される国です。

ジョンヒョンはラジオもしていましたからそういう悩みも一つ一つ大事にリスナーとともに悩んでいました。ただ彼は人々の不満をなんの防護壁もなしに受けました。

人を傷つけることをとても嫌ったエピソードはラジオに送られてきた悪徳フェミニストに対しても決して否定することなく丁寧に対応していることからも垣間見られます。自分の言葉で誰かが傷つくのは嫌だとリスナーと丁寧に言葉をかけあう姿はあまりにもけなげであまりにも真っすぐです。ラジオで多くの人と触れ合いながら、つらい気持ちをジョンヒョンが全部呑み込んでくれていたんじゃないかって思うくらいに丁寧です。そいつはただの文句つけ野郎だから、相手にしなくていいんだと誰か言ってやってほしかった。ただ気持ちを吐き捨てているだけなのだ、と。
芸能人であることへの不適応もそうですが、なんといっても人にやさしすぎるひとだったのだな、と。多くの人を愛し愛されたにもかかわらず、その愛を受け取る方法を知らなかったようです。


愛の受け取り方法は親ももちろんですが韓国では多くの場合キリスト教に依存します。ジョンヒョンは信仰はなかったようですね。それはなおさら追いつめられたと思います。これが愛からの断絶の二。

でも私は韓国のキリスト教は馴染めませんでしたね。神様の愛があるからと思考停止に陥ったような、ノー天気さが感じられました。愛について「神様の愛があるからなやまなくていいんだー。」というかんじ。結局神様の愛も有料ですからね。神様の愛そのもの無償でも経由地である教会は韓国社会のメンツがはびこる部分ですからね。

きっとノー天気さがあったとしたら彼の音楽には何の魅力もなかったと思うんです。ただ産みの苦しみが彼自身を苦しめていたのはいいことだったのかどうか…

ナインさんに残した手紙を見てみると遺書というより、苦しんでいるジョンヒョンという人を慰めているジョンヒョンという構図が見えてくるのです。自分自身までも、つらくて痛い自分までも包み込もうとする彼のやさしさは結局は燃え尽きて終わってしまいました。ジョンヒョンのやさしさで包み込もうとするにはあまりにもつらさが肥大してしまいました。

そう思って、一番初めに公開された姉へのメッセージ(カカオトークだろうと思いますが)をもう一度読んでみると辛かった自分を慰めてほしいというよりも「辛かったジョンヒョンを慰めてあげてほしい。頑張ったと言ってあげてほしい。」と読めてしまうのです。

愛してやまなかった姉や母親に遺産を残すための遺書というのは理解がしやすいのですが、ナインさんに残した手紙は、どうかすると「ジョンヒョンを包み込んであげられなかったことへの後悔」に読めてしまいます。





最後までジョンヒョンのことを心配していたジョンヒョンですがこんな風に他人を心配できる人って少ないんだろうなと思うのです。ファンですら発見したのが彼女じゃなくてよかったとかいう発言が出てきたりするんですからファンというものは結局アイドルはみんなのアイドルであるべきだと思っているでしょう。それすら彼には愛の通路をまた一つ遮断することだったと思います。アイドルとしての自分のあるべき姿というものが愛からの断絶の三。

他人の人生は負いきれない。

自分も他人の人生を負うことはできないし、他人も自分の人生を負ってはくれないということがジョンヒョンの孤独だったんだろうなと思います。

他人の人生は負いきれないから深入りなんてするのは愚かだ。

他人への無関心は賢明であり、関心は愚考である。

これが韓国社会であり、日本も数年で行く道だと思います。

自分で自分を許すこと、自分の愛し方を知ること、自分を傷つけない方法を知ることは学問以上に大事です。でも、自分を許すために他人を傷つけてもいいんだという今は絶対おかしい。じぶんだけはそうはなりたくないと立ち向かったジョンヒョンのことを誉めようと思います。他人の人生を負おうとするのは愚かでもそれでもやろうとしたジョンヒョンというひとが韓国にいたということを知っておこう。そう思わされた彼の死でした。






koreal.netの他の記事

「ジョンヒョンの死から考える韓国社会にはびこる他人への無関心」への1件のフィードバック

  1. 本当にその通りだと思います。記事にしていただいて有難うございます。日本でも同じ事が起こっていると思います。先日の自殺願望のある普通の子供達が、ツイッターで実際に行動を起こしたのは、陰湿なネット社会や見栄による過度な期待やプレッシャー、過酷なスケジュールなど、子供達の心を社会が蝕んでいるのではないかと考えさせられました。
    今回特にオンユの復帰が決まってまもなくの出来事でしたので、心がとても痛いのですが、15日〜18日の間に世の中はオンユの件で揉めていました。ジョンヒョンもきっと、このような事態に心を痛めて限界を迎えてしまったのかなと、とても残念で仕方ありません。
    あの日以来、世の中は流れていくのに心の時間が止まってしまっています。
    ジョンヒョンの遺したメッセージや音楽、優しさ、労わりの心を後世に語り継がれるように、どうか映像化や本などの形で残していただければと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です