慰安婦問題から見える韓国の政治の世代間格差

ハンギョレ新聞 クォンテホ記者
廬武鉉政権が誕生した時の小説を引用し、60代の政治観を悲観している。

http://m.hani.co.kr/arti/opinion/column/725494.html
その小説には

老いとはただ古ぼけていくということなのか、苦労して生きて来た歳月はただの守旧冷戦の膠着化に寄与したものだったのか?と、新しい時代を前にした50代の自分を責める気持ちがあった。(…)(選挙後の)20日の昼、ソウルの都心の昼食時、若者は廬武鉉の話題にあふれていたし、50代は、ただ静かに食べていた。

このように、廬武鉉が大統領になったときただ静かに昼食をとっていた世代が、今回の日韓慰安婦協議について評価すると答えた割合が半数を超えた。(20代から40代の間では評価すると答えた割合は10%台であった)

これについてクォン記者は、廬武鉉政権誕生時代に何も言えなかった世代が今、日韓慰安婦協議に賛成しているとし、その理由を

この慰安婦合意を現在の民主党が合意をしたとするならば、今の60代以上は全く違う答え方をしただろう。この場合、比較的現民主党の支持者が多い若者たちが慰安婦合意に関して今の60歳代以上のように民主党を支持しただろうか?政党の支持を撤回するであろう。

(中略)

60代以上の高齢者層の政治投票の形態はより強固なものとなり経済が悪化するにつれ朴正煕開発独裁時代がよかったと強く感じている。しかし、60歳以上であれば身に着けているであろう賢さや心の広さ、重厚感などは感じられない。急変する社会に経験が通用しないということも言えるかもしれないがその喪失感を埋め合わせる方法が60歳以上らしくないためではないだろうか。

とし、

自分が60歳以上になったら、自分より若い世代と自分が違う(政治的)選択をしたならば、子供たち世代と違う選択により60代の自分が考える良い世の中を望むよりも、むしろ棄権するほうがよい。未来は自分が生きる世界ではなく子供たちの世代が生きるものであり、子供たちの考えを尊重したいし、自分の思いというのは間違っているかもしれないからだ。

とまとめた。

 

ここで見えてくるのは、慰安婦問題が、60歳以上の人にとっては、政治的問題であるということだ。もちろんこの世代が日帝時代のことをよく考えてるわけではない。慰安婦に関して盛んに活動している若者たちにとってはハルモニの人権が自分たちの思うように回復されたり、補償されたりすることが目標であるだろうが、韓国の政治圏にとっては外交におけるカードに過ぎないのである。

そういう意味では、ハルモニたちは日本政治からも韓国政治からも無視されている。

私がここで慰安婦に関する歴史認識について論じるつもりはないが、今回のことで韓国政府にとっても慰安婦問題は外交カードの一枚であったということははっきりした。いや、もとからそうであったのだが。

クォン記者の場合、正義のあり方が、60歳代以上は保守政治のみにあり、それより若い世代は自分にあるのだ(だから、「ともに民主党」が違うと思えば支持はしない選択がある)と言いたいようである。

この正義のあり方の問題が今の韓国社会を暗いものにしているようにも思う。正義を貫こうとするものが馬鹿を見る社会。そのなかで、ハルモニたちの正義は若い子たちの正義となり彼らを動かすものなのだろう。

若い世代の正義が実現できると信じられるような政治があればいいのだろうが、政治側はさっさと正義なんてNOと言ってしまった。

そもそも正義などというものは政治に期待するものではないのだろう。

韓国の若者についてはまたおいおい書いていこうとおもう。

 

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