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ジュンケイ(Jun. K)インタビュー②

インタビュー前半からの続き

最近のことについて

このインタビューはお酒を飲みながら正直に深い話を聞くというインタビューです。

ーほろ酔いインタビューのお決まりの質問なのですが酒はどれくらい飲めますか?
焼酎1本半です。これくらい飲むとかなり酔いますね。ビールはおなかが膨れるのであまり飲まないほうですね。焼酎がある飲みの場が好きですね。

ーお酒を飲むときは誰と飲むことが多いですか?
メンバーと、あとキムジョハンさんとです。偶然ジョハニヒョン(前述キムジョハン氏のこと。ヒョンとは男性から見た年上の男性を愛着を込めて呼ぶとき名前に付ける)となかよくなり、お酒を一緒に飲むことがおおいです。ヒョンはお酒をよく飲みますね。

ーよく話すメンバーは誰ですか?
6人全部そうです。最近も一緒にお酒を飲んだんですが個人的なことも全然隠さないで話せる友達ですね。悩み事も話しますしおたがいそうです。

ー最近はどんな話をしましたか
あたりまえですが2PMの将来のことです。去年JYPと再契約をしましたが来年は軍隊に行かなくてはいけないんです。じぶんとテギョンとです。ほかのメンバーもいつ軍隊に行くのかという話をしました。決まったことはないけれど結論は出ましたよね。6人がばらばらになることはないということです。もう一度確信を持ちました。

ー2PMは最後までいくっていうことですね?
解散はないです。自分たち同士で話しました。みんな30代に突入するところなので人生に関してもう一度考えることになると思います。でも2PMがなくなったりすることはないです。メンバー変更があることもないです。振り返ってみる時間になりましたね。不思議なことに話してみたらメンバーみんなオトナになってましたね。ただただ子供だったジュノもですよ。

ー覆面歌王に出演されて準決勝まで残りましたね。結果には満足してますか?
できすぎだとおもいます。覆面歌王は普通3週くらいかけて準備するんですが自分は5日前に話が来たんですよ。時間がなかったんですが前から出てみたかった番組だったのでやることにしました。2日前にバンドとの練習をしてなんとか準備しました。曲を選ぶのがけっこう制約が多くて。前に出演した歌手が歌った歌はだめなんですよね。推薦されて自分が歌うことになった曲がイジョク先輩の「レイン」でした。この曲は母が好きな曲です。自分はよく知らなかった曲でした。うたいあげるよりも自分の普段からのスタイルで淡白な雰囲気にしたかったんです。結果的に3ラウンドまで進出して驚きましたね。準備していた曲は全部うたったことになりました。「オンマ」(おかあさんの意)をうたった時は観客の中に何人か泣いている方もいらっしゃって。声だけで伝えられる歌の力を改めて感じました。

ー後悔はないですか?
日本に初めて行って2PMとしてデビューして公演をしたとき「雪の華」をうまく歌えなくて話題に上がったことがありました。音を外したんですが「ヤギの華」だってばかにされたりもして。本当に恥ずかしかった。歌手として、のどの管理をきちんとできなくてそうなってしまいました。声帯結節があったんですが新人だったので「できそうにない」といえなかったんです。今でもその動画は見られるんですけどそれを挽回したかったんです。ヤギの毛をつけて「雪の華」を歌おうとしたんですが準備する時間も足りなくて、覆面を作る時間もたりなくてそれはできませんでした。




家族のこと 練習生時代

ーご両親はどんな方ですか?
父は厳格な方でした。経済新聞の記者でした。母はつつましく私たちと多くの時間を過ごしました。中学校の2年の時、音楽のほうに進みたいと思ったんですが最初はできないだろうなと思っていました。父が厳しいですし自分に多くのお金を使えるような状況ではありませんでしたから。ご飯が食べられないほどではありませんでしたが家庭教師をつけてもらえるほどの環境ではありませんでした。そのころ自分は数学がうまくいかなかったんですが家庭教師代が30万ウォンほどかかるときでした。(家庭教師をつけてほしいと)母になんとか話してみたんですが父と母がけんかすることになってしまって。そんなかんじでした。そうして高校の1年の時進路を音楽に固めました。実用音楽を教えてくれるところがあったんですがそうしたらまたお金がかかるじゃないですか。家にはもちろん頼めないし、結局大邱で行われたいくつかの歌謡祭に参加しました。そこで偶然賞をとって。そのとき母は自分の思いを理解してくれたみたいです。父は反対し続けていましたが高校2年の時ソンヘ先生が司会されているドンソン路歌謡祭があったんですが、そこで1等を取って29インチの平面テレビをもらいました。父の部屋においてあげたら「これはどうしたんだ?」といいながらも喜んでくださいました。そのとき予備校に通うことの許可がおりました。月28万ウォンかけて9か月通ってJYPとYGにデモテープをおくったりもしました。

ーデモテープを送った後はどうでしたか?
実はYGから先に連絡がありました。そのあと一緒に音楽をしていた友達とYGにいったんです。ムグンファ号にのって。そのときヤンヒョンシク社長に会いました。2004年のはじめでした。そのとき社長がGドラゴンとテヤンに合わせてくれて、88年生でグループを作るんだと話していました。社長の前で「アイビリーブアイキャンフライ」を歌いました。社長はデモテープと同じで上手だといってくれました。そうやってほめられて気分もよくなって大邱に戻る途中でJYPから連絡が来ました。週末にJYPのオーディション大会があるから参加してみないかという話でした。最終的にはパクチニョンさんも来ていたそのオーディションで1等になってそのままJYPの練習生になりました。YGには電話で事情を説明したら、そっちでがんばるようにと応援してくださいました。

ーJYP練習生になったあとは?
私はダンスが本当に下手で基本から学びました。本当に怖い先生方にトレーニングを受けました。そのときのジニョンイヒョン(社長)の注文は「3か月でピ(レイン)のようにおどれるようにしろ」だったそうです。そうだったから雰囲気は本当に殺伐としてました。

ー2PMのなかで最初に練習生になったんですね。
そうです。でもデビューまではつらかったです。デビューが6回ほどなくなりましたから。いつからか機会が与えられても避けるようになったんです。不安だったし傷つきもしました。この道であっているのか違うのかと、ニックンとテギョンと同じ年であるように親しくなり、一緒にがんばろうと慰めあいました。
ー練習生の時に最もつらかったことは?
誤解されて会社から追い出されていた時がありました。毎日9時にカードを押して練習していたんですが、時間がなくて友達にカードを押してくれと頼んで、自分はコンビニで朝ご飯を買っていました。その日新人開発チームが自分をよんでいて、なんで偽装出席をさせていたのかと、誤解が生じて、大邱に返れと。大邱には帰れないので大学生の友達のところに一か月いました。そのあとまた友達のコシウォン(学生向けの広さが限られた部屋)にいました。生活費がないので新聞配達をして、日雇い労働にも行きました。でも、自分ができることってほとんどないんですよね。その時はよくないことが重なりましたね。




ーソウルでの生活は金銭的にも大変だったのでは?
2011年からお金を稼ぐようになりました。そのときの家はかびがはえるくらい良くないところでした。2012年1月に父に会って引っ越そうといいました。母が病気だったのでもうすこし良い家に移してあげたかったですね。母がモートン神経腫という歩くたびに足が痛い病気にかかっていました。なので、手術を5回しました。全身麻酔をする大きな手術でした。そのとき父と二人で母の病室から出て大邱のスソン湖で話をしました。父と二人でそうやって話をしたのは初めてでしたね。なのにその1週間後心臓麻痺でなくなりました。そのとき弟と自分は旅行中だったんですが父が倒れたと聞きました。息をしていないと。その時は何をしていたのか全然わからないし、全く信じられませんでした。5分後に医者から電話がかかってきて父が亡くなったので早く帰って来いと。あまりの衝撃に何をどうしていいかわかりませんでしたね。母は自分たちの旅行の邪魔になると倒れたという事実すら後から話してくれました。父が亡くなった日、信じられないし涙も出ないしいったいこれは何なんだ?というおもいでした。父の体を拭くとき父を見ましたがそのとき世界がすべて崩れ落ちました。そのときが旧正月の前でしたがたくさんの方が来てくださいました。大邱にまでです。そうやって父を送り出して、母が大邱に一人になってしまったので母を連れて来なければと思いました。弟が水原の京畿大学にいたので水原に引っ越しました。

ー改名の話はどうやって出てきましたか?
父が亡くなってから一か月後母から聞きました。でもいやで10か月は話を聞きませんでした。いままで知られていたのに変えてもいいことがないじゃないですか。そうした中母が甲状腺がんにかかり入院しました。足の手術を5回もしているので今度の全身麻酔からは覚めることができないかもしれないと医者が言いました。そのとき名前の話を病室でまたしたんです。なのでジニョンイヒョンと社長に話しました。このときジニョンイヒョンが「こういうときはお母さんの話を聞くのがいい」といってミンジュンに改名しました。そのとき作曲家としての名前のジュンケイなので芸名もジュンケイにするのがいいという意見が集まりました。しかし、改名後人々はなんでジュンケイなんだと悪くいうようになりました。事情を話したとしても生意気にみられるだけのような気もしましたし、2PMに関する問題もあったのでアンチファンもいました。そんな中で日本でソロ活動のアルバムがオリコン1位になりました。全部自分で作曲したものでした。韓国ではジュンケイ1位と報道されましたが、みんなだれなのかわからなかったようです。また名前のことで成果が隠れてしまうのか、と思いました。ストレスがひどかったですね。

ージュンケイにとって父とは?
ひとことではいえません。父とは対立的な関係でした。忘れられないことがあります。中高校生の時勉強していたら父が肩をつかんでそのまま去っていくんです。その気分を忘れることができないですね。朴訥(ぼくとつ)ながらあたたかみのあるかんじです。父に本当に申し訳ないです。もっと父との時間を過ごすことができたのに、まだ若かったんです。大邱に返っても友達と会うのに忙しかったし、父母と過ごす時間はあまりまりませんでした。父を先になくした友達が口癖のように「両親にやさしくしろよ」と言っていたんですが、今は自分がそういっています。両親と少しでも長く一緒にいてあげろ、と。自分はそうしてあげる勇気がない性格みたいです。両親もそうですし。まだ健在の人はそんな風にならなければいいなと思います。父が亡くなったというのはまだ信じられません。自分にはまだ大きな存在で、心が安定する存在です。

ー家長として責任感もあるのではないでしょうか?
父が亡くなってからは楽ではありませんでした。人生で最悪の年でした。失敗も多かったですし、お酒もたくさん飲みました。その後は家長としての責任感ができました。父が亡くなった後死亡届を出して父の会社の整理などすべて自分が行いました。母は病気がありましたから自分がしなくてはいけませんでした。自分もその時はまだ若かったですからわからないことだらけでしたが助けてくれる人もいませんでしたからね。その時思いましたね、自分が悲しんでいるだけでは何も進まないんだなと。社会というものを学びました。成長したのかな?弟に責任を押し付けようとしたこともあったのですが青春の50%をすでに失った弟を思うとそうはできなかったですね。弟には本当ありがたいなと思っています。

ーおかあさんはどうですか?
今は水原にいます。アパートは自分が準備しました。母の病気はよくなったりわるくなったりですね。

ー心配ですね
きついですね。2月3日が父の命日です。父の命日のたびに大邱の共同墓地ににいって声に出して話すんです。「母のことしっかり守ります。」と。なので、母と弟とうまくやっていこうとがんばっています。




これからの活動予定

ーソロとしてのジュンケイの活動は韓国では行いますか?
そうですね。新曲を出た場合会社でモニター30人評価を行うのですが80点以上でなければなりません。そのシステムについては自分は完全にいいものだと思うわけではないんです。80点という点数が答えであるわけじゃないじゃないですか。昨年にはそのケースがうまくいったのもあればそうでないものもありますから。これからは自分のことをできるだけ話していきたいです。自分が生きながら感じたことを人々が共感してくれたらとおもいます。いままでは芸術的な面を加味していたといえますがこれからはリアルに伝わる音楽を作っていきたいなと思っています。

ー日本ではソロのジュンケイが人気がありますね。
2PMとしてアルバムを出してからはけっこうたってしまいました。自分が作った歌としては2PMも併せて5枚で、ジュンケイ名義ではミニアルバムを二枚です。ソロアルバムではデイリーチャート1位ウィークリーチャート2位になりました。1枚目二枚目ともにです。本当ありがたいです。

ー韓国とは異なる反応ですよね?
日本ではテレビよりもコンサートを中心にうまくいっています。あの人が上手だといううわさがあればコンサートに来てくださいます。日本は直接見るということを重要視しているようです。コンサートではできるだけ自分のカラーを出したいと思っています。一生懸命しました。いつかは自分に機会が来るだろうと。そうしているうちに日本でソロの話が出てCDをだして良い結果につながりました。

ー韓国でもソロで活動してみてもらいたいものがあるんですよね?
韓国では自分の音楽が知られていないように思います。まずは自分がやりたいことをやってみれば「なんだろう?」と関心を持ってくれるだろうと思います。まだ2PMで覚えてくださっている方が多いと思うのでソロで出てしまうと自分への反感があるのではないかと考える部分はあります。韓国でどのように受け取られるかはわかりませんが、自分のやりたい音楽は必ずやってみたいと思っています。

ー2PMが向かうところはどこでしょうか?30代が近くなってきていますが。
30代というとこう、ガッと来るものがありますね。まずは2PMが見せられるものはまだあると思います。まだメンバーそれぞれが表し切れていないものがあると思うんです。皆さんの共感を得られたらそのとき2PMが一緒にするときのシナジー効果が大きいと思うんです。自分が思うに、転換点が必要なんです。メンバーそれぞれの個人の仕事も大事です。2PMがただでていくっていうのは自分たちも望んでいません。

ーパクチニョンさんに最もありがたいことは?
自分を連れてきてくれてことがありがたいです。選んでくれたということです。ジニョンイヒョンから学んだことは本当に多いです。音楽的にです。隣でヒョンが音楽作業をするところやレコーディングするところを見てです。ヒョンは勉強をよくするし、一生懸命生きている人です。体の管理もそうです。ステンレスを使わないそうです。体に良くないと。一度コンサートに行って驚きました。60代まで音楽をやるといっていて。ウヨンと二人でいたんですがその話を聞いてちょっとはーっと思っちゃいましたね。もう引退して自分たちに機会をくれたらいいのにって、ハハハ。本当に熱意はすごいなと思います。いつもありがたい方です。人生に危機が訪れてもその危機がより大きくならないように助けてくれるので。

ージュンケイの恋愛もきになります
彼女はいません。タイプは昔から女優のキムミンジョンさんです。なので彼女がコンサートに来てくれた時に写真を撮りました。自分のファンが彼女のところに行ってサインをもらうくらいです。小さいときに「キッドカップ」を見てはまりました。忘れられません。正直で、世の中の人が自分について悪くいったとしても自分の味方になってくれる人がいいです。あれこれ考えてああだこうだいうのよりは信じてくれるのがいいです。信じること、正直であることそういうことが大事だなって思います。

長いインタビューでした!




ジュンケイ「ほろ酔いインタビュー」やぎの華の屈辱、覆面歌王出演で挽回

やぎのはなってなんのこと?記事の中に出てきます!

ジュンケイ(2PM 28歳)は三つの名前がある。
出生時の名前はキムジュンス、改名後はキムミンジュン、芸名はジュンケイである。改名したことでネチズンの間ではいろいろな憶測がとびかう。「JYJのキムジュンスにひるんだのか?」というものから、「有名になりたくて名前をかえたのか?」「変えたところで俳優と一緒の名前かよ。」「この芸名いったいなんだよ。」など。なんといっても改名に関するコメントが多いので本人もこのことに関してはよく思っていないのは間違いない。しかし、本人には名前を変えなければいけない理由があった。そして改名には彼の家族と彼の人生をすべてが圧縮された事件があった。
2012年1月彼は父を亡くした。なくなる1週間前父とカフェで闘病中である母をしっかり看病していこうと話をして、立ち上がった後だった。心筋梗塞。突然の死だった。当時24歳であったジュンケイにはあまりにも大きな悲しみであった。経済新聞の記者であった父は厳格であった。しかし、勉強している彼の肩に手を置いて何を言うわけでもないがそのまま去るようなあたたかい家長であった。そんな父が亡くなる前まで望んでいたのが彼の改名であった。また、闘病中の母が大手術を前に5回目の全身麻酔を受ける前日彼の手を握りしめながら「父の遺言だから名前を変えることはできないだろうか?」とはなした。
ジュンケイにとって2016年は跳躍の年だ。日本市場においてソロとしてアリーナツアー開催できるほどになった。2PMメンバーの中で、日本においてアーティストとして最も認められているといえる。2PMもまた跳躍が必要である。その中心で2PMの進む道は音楽であると見せつけなくてはいけないのが彼である。この跳躍の第一歩として仮面をかぶってMBCの覆面歌王に出演した。ソロ歌手ジュンケイをみてほしいという思いであった。そしてこの「ほろ酔いインタビュー」においてテレビではできない話をしてくれた。父と母、その名前を呼ぶだけでも胸が苦しくなるが、今回はすべて話してくれた。駆け上がっていくジュンケイのスタートであるから。

ということで、あまりにも長いインタビューなので、二回に分けます!

インタビュー2




ヌリ課程の予算闘争 누리과정 예산 갈등

日本でも私立幼稚園に入れる際に補助金があるが、段階的なもので、授業料がただになる家庭というのは限られている。また、毎年補助金の予算が通ればもらえるというものでいつなくなるかもわからない制度だ。また一人目は助成額が少なく、2人目で約半額、3人目でほぼ全額ただとなる制度だ。そんな不安定さでは幼稚園は負担少ないから産もうという動機にはならないと思うが、名目上公立との不平等解消のための一政策となっている。
韓国では朴槿恵政権(2013年)から無料化を政権公約としはじめられたが、予算をどこから出すかということで押し付け合いが起こっている。

ヌリとは韓国語で全世界の意味です。ヌリ課程とは年少から年長までの子供を国の責任で教育を行いより大きな夢を描き幸せな世界に進んでいけるようにという思いから推進されている政策です。具体的には子供たちが政府の支援によって幼稚園や保育園に通えるようにするものです。この政策を進めるにあたってどこがお金を負担するのかということに関して政府官庁の間で争いが起こっています。

日本の補助金はあくまでも子供を通わせる側に返ってくるお金ですが韓国では様子が違うようだ。

 사립 유치원 교사·원장·학부모 보육대란 도미노 시작

私立幼稚園の教師・園長・親 混乱の連鎖がはじまった1月20日が幼稚園のヌリ課程の補助金の入金日であったが、ソウル、キョンギ、クァンジュ、全南地域の幼稚園は教育庁からの補助金を受け取れなかった。とうとう始まってしまった保育騒動は幼稚園教師への給与未払い、幼稚園の園長の借金、親たちの29万ウォンの追加納付へと連鎖していくだろう。

このように園へ直接お金が行くので、親たちも園も補助金に頼っているというのだ。日本式ならば、園には一旦親からのお金が入るが、韓国方式ではそうはいかない。保育園は国庫から直接お金が入るのでまだ混乱は小さいというが、それでも、はいるべきおかねがはいらないとしわ寄せは、子供たちにいってしまう。

韓国の幼稚園や保育園に関する報道でたびたび目にするのが給食の質の低さである。カビが生えた食材を使っての給食の提供や、体罰・暴力というのはここ一年だけでも多く目にした。なぜかというと、運営がカツカツなので食事で削減しようとする園があるというのだ。もちろんごく一部の園であるが、入ってくるお金が限られている以上削るしかなく、教師への給与も決して高くない。(今回の事態で1月25日に給与を受け取れなかった教師が出ている。記事

2013年に乳幼児保育法と幼児教育法が改正された。その案の中で保育費を地方教育財政交付金で充当するという内容が入った。これによって保健福祉部の管轄であった保育園の保育費が国庫と地方自治体に移った。これによって昨年の9月に企画財政部は来年度の予算にヌリ課程支援予算を策定しなかった。そのうえに政府の税収が落ちたといって地方の教育庁への交付金も前年から3%減らした。
政府側は、「国庫の負債が大きいが地方自治代の負債は国庫ほどおおきくない。ヌリ課程の予算は2012年からすでに段階的に自治体への交付金で負担することが原則だった。」と、予算を策定しなかったという。

 

結局、お金がない以上ない袖は振れない。去年から予算に関しては政府地方自治体間でやり取りがあったようだが、ここにきて完全にコップの水があふれてしまった形になった。

日本もいつ補助金がなくなるかわからないが、親たちはもらえれば儲けものくらいにしか思ってないし、金額もすくない。
韓国は大きくは出たが、結局まったくできていないわけで、初めからやらなきゃよかったのに、という形になってしまった。結論としては、私学は結局親も負担しなくてはいけないし、公立だってそれ相応の負担をすることになる。それを助ける形で国家も一緒に負担をすればいいという制度に立て直していく方向性を政府が示せばいいだけのことだ。
今回は、政府側があまりにも地方自治体に丸投げだ。交付金はだすからその中でやれるだけやればいい、ほかのところから予算を持ってくるならそれは地方それぞれだという言葉もなしに、全部やれ全部やれでは地方自治体も困るだろう。
そしてなによりも、子供たちが安定的な幼児期をおくれるようにするべきである。お金のことで悩む姿を見せるのは、もう少し後でも遅くないはずだ。




というのが、きれいごとの話で、このなかのコメントには、左派の教育監(自治体側)が政府と対立し政府側を悪く見せるために政治的材料に仕立て上げたのだという意見もある。どっちにしろ被害者は子供たちだ。

 




crush-忘れないで / 크러쉬-잊어버리지마

 

MVは札幌撮影。作詞作曲は音楽の世界で生きられるようにしてくれた同じ事務所のZiont.T(ジャイアントT)との共同。フィーチャリングに少女時代のテヨン。

 

歌詞は恋愛の様子。

 

向かい合って君を見つめて座っている今が永遠でありますように

もしも他の誰かが君の手を握っていたとしても

永遠に触れることのできない場所にいたとしても

忘れないで 失わないで

俺のことを忘れないで この歌を忘れないで

 

また、クラッシュ(シンヒョソプ)が音楽を始めた頃の初心を忘れるなと言う意味も込められている。

 

シンヒョソプは過去に発表した曲でパクリ疑惑がある。パクリ元の歌手がパクリとまではいえないと発言したことで大事にはならなかったが、歌手として、制作者として初心を忘れていたのではないか。自分のソロコンサートを成功させ、韓国の音楽業界では評価を受けた。このさきも音楽で生きていくことを決心し、あの事件に対するアンサーを自分で出したともとられるような曲だ。

 





 

 

 

旭日旗に対する韓国の過剰な拒否反応

http://www.huffingtonpost.kr/2016/01/23/story_n_9062726.html?1453609003모델 김상우, 메종 키츠네 욱일기 화보 사과하다

モデルキムサンウ「メゾンキツネ」の旭日旗ブランドスナップに関して謝罪

韓国系イギリス人のモデルキムサンウが旭日旗もモチーフにした写真に関してインスタグラムを通じて謝罪した。

モデル事務所エスチームに所属するキムサンウはフランスのブランドである「メゾンキツネ」がジブリの「風立ちぬ」をモチーフにして発表された2016年の秋冬コレクションにおけるルックブックに参加した。そこにおいて旭日旗が象徴的に使用され論争になっている。

このルックブックがネット利用者の間で話題になり問題視され、キムサンウはしばらくの間インスタグラムを非公開にした。そして、23日に謝罪文をインスタグラムをとおいて発表した。

—–キムサンウです。まず今回の件で多くのかたを失望させてしまったことをお詫び申し上げます。ブランドの広告に関するコンセプトを国家別のコンセプトであると言うことまでだけわかっていました。自分自身何も分からず写真を撮り、みなさんのコメントを読みやっとそのとき、問題の深刻さを理解しました。自分が無知だったとは言え間違ったことですのでもう一度謝罪いたします。詳しく理解していなかったことを後悔しており、自分の無知に関して反省しております。皆さんが怒りを表し、自分に失望しながらも自分に説明してくださったように自分もこの機会により勉強し、一生懸命常識を持ったキムサンウになれるよう努力いたします。申し訳ありませんでした。—–

また「メゾンキツネ」側もハフィントンポストに公式謝罪文を送付した。

—-今回のことに関して私たちに教えてくださった皆さんに感謝の言葉を申し上げます。また2016秋冬ルックブックに公開された写真に関して謝罪申し上げます。指摘を受けました写真はメゾンキツネでは使用いたしません。糸とは異なり文化的なtigaitoこれによるイメージの違いを理解していなかったフランスクリエイティブチームの間違いによって多くのかたが受けた不快感ち心の傷に対して今一度謝罪いたします。—-

メゾンキツネは2002年にダフトパンクのマネージャーと建築家のクロキマサヤが中心となっているフランスのブランドである。世界にショップが展開されている有名ブランドでありさくねんには韓国をモチーフにしたカプセルコレクションK.I.Mを発表していた。

引用終わり

旭日旗に対して単なる太陽のモチーフとして利用されることも多々あり軍国主義の象徴としてのみ利用されるものではない。その文脈を読み取って批判するべきは批判するのがよいと述べるブログ記事もあるが、ほとんどは「何で被害者の俺らがあいつらのこと理解してやらねばならんのだ!太陽ピカピカのマークが気持ち悪いもんはわるいんだよ!」という反応である。

ましてや今回は、韓国人いわく「日本軍国主義ニダ!ムキー!」の服を韓国系モデルが着るというありがちなやつだ。西側の人にはわからんよね。私はわからんもん、西側のゴタゴタ。

個人的には服がカッコいいとは思わないので日本イメージの服として使わないということであればまぁ良かった、と思うが。だって胸のところに大きい赤丸の服なんてきないでしょ?フランス人はフランスの国旗のデザインの服着るのがクールなのかしら。半纏のツギハギをジャケットっぽく着てるのとかわかんない。もちろん、別に日本人に着てもらおうとおもってるんじゃないだろうけど。

こうやって日本悪い、軍国主義、右翼、戦争やろうとしてるって拡散されてるんだな。




The legend- Nail / 전설 – 손톱 오늘의 한곡

 

ドンスパイクが編曲に入っているのですごくカッコいい。都会的な雰囲気があって何度も聞きたい。歌も上手ですね。ハーモニーがとても気持ちいい曲です。歌詞も世界感あります。

女の子でも男の子でも失恋したときに染みる歌詞です。




カカオとメロンの合併の話

JJCC「不眠症」。曲はいいのにさっぱり人気はない。ジャッキーチェンが手がけたアイドルなのだが、芸能事務所の力がなければ売れないという典型例。

弱小系芸能事務所の歌を紹介しているyoutubeのチャンネルONE the Kはオフィシャルサイトを見ればわかるがLOEN運営である。

この会社、韓国の音楽配信会社である。レコード会社として、また、芸能事務所としていくつかの歌手も在籍しているが、大きな仕事としてはMP3の配信である。

韓国人はMP3を月1500円くらい払って数十曲ダウンロードして聞くのが主流で、そのサイトとしてLOENが運営するMELONは韓国において大きなシェアを持つ。

韓国のSM、YG、JYP三大芸能事務所はそれぞれでYOUTUBEチャンネルを持っており所属アイドルの曲を紹介しているのだが、このサイトだけはばらばらでその理由が気になっていたのだが、この記事で謎が解けた。

 

キャプチャ

http://www.iloen.com/index.jsp

そのLOENを韓国の主流メッセンジャー会社カカオが買収したという話。これについてよくわかる記事を紹介しよう。

http://www.ddanzi.com/ddanziNews/66386999
정치 사회 [이슈]카카오의 로엔 인수 관전 뽀인뜨

1.カカオの歴史

カカオは国民的メッセンジャーカカオトークを作った会社である。サービスは2010年3月に開始されiphoneのアプリとしてはじめはスタートし海外アプリ国内アプリとの競争の末、アンドロイドの成長へ早くに対応、合理的なグループチャットなどにより国民的メッセンジャーサービスとしての地位を確立した。カカオは2010年代を代表する韓国IT企業という象徴的な会社である。
2014年10月、国内2位のポータルサイトDAUMを合併した。これは2010年代の韓国IT史において最も衝撃的で画期的な合併であった。また、カカオは2015年3月にカカオトークタクシーを発表し11月にあるインターネット銀行を合併した。
このカカオに対して一般的に聞かれる批判としては「内需用企業の限界」ということだ。カカオが韓国において地位を築いたメッセンジャー市場で中華圏東南アジアの市場も進出しようとしたがNAVER系列のラインや中華系のウィチャットにはかなわなかった。その間に韓国のスマートフォン市場は飽和状態になり、これ以上の成長を期待できないという意味でつかわれる。
しかし、カカオは国内でのメッセンジャー市場における確固たる地位を基礎にソーシャルゲーム文化広めとタクシーを捕まえる手段の方法を劇的に変化させ、国内における事業範囲を広げている。
驚きのスピードでゲーム、公共交通、金融にてを広げたカカオが次に手を伸ばしたのがLOENである。

2.LOENの歴史

現在のLOENになった最初の契機は2005年のSKTが株式会社ソウル音盤を合併して始まった。当時国内の音楽市場は2000年代のインターネットの普及によってCDなどの不法コピーが広がっておりまた、携帯電話が広まるなど変化の激しい時代であった。また他の携帯電話会社と他の音楽配信サイトの合併もあった。このように携帯電話会社、ポータルサイト音楽配信サービス、レコード会社、レコード企画会社、音楽専門チャンネルなどの音楽市場にかかわる勢力がけん制しあい、合併し、また、離れ主導権争いを行っていた。
SKはソウル音盤を引き継いで既存の自社音楽サービスであるMELONとソウル音盤を別々にした。また、LOENエンターテイメントを子会社として設立した。芸能事務所、レコード会社、レコード販売会社、音楽配信サービスをすべて統合されている別々の法人とし、それらは国内最大の携帯電話会社の系列会社としてオンライン音楽市場の50%を占有し、安定的に維持してきた。
この構造のおかげではまちがいとは言えない矛盾を抱えはしている。芸能事務所が音楽配信サービスまでするのであるが、その音楽配信サービスでは自社の音源だけをクローズアップするわけではない。ほかのアイドル専門事務所に比べ商業主義とだけは言えない様子がうかがえる。例えばIUを通してうかがえるし、中小の芸能事務所を合併したことは肯定的なひょうかをうけたりもした。
2013年SKTがSKプラネットを子会社として設立する際LOENをSKプラネットの子会社とする過程で公正取引法の「子会社行為制限要件」を満たすため第3者へLOENを売却しなくてはいけなくなり、LOENと携帯電話会社との公式的なつながりは解消した。結局LOENは芸能事務所、流通会社、大型音楽配信サービスがすべて合わさった韓国音楽市場のおおきな集合体になった。

あとは、カカオがLOENを活用するのか、ただの高い買い物だったのかという話なのだが、これはまだわからない。

また、この合併話で一番儲けたのはスターインベストホールディングスというところでここが結局株の仲介となって現金収入を得たということだ。また、この仲介は儲けたお金でカカオの3大株主になった。この記事では、この合併劇はこれで終わりではないと閉めている。
—-記事の内容はここまで—–

 

これを読んでONE the Kがなんで弱小ばっかり紹介するのか背景がわかった。また、紹介している歌手を見ていると韓国の音楽性を広げるためにも大きな役割を果たしているなと思う。アイドルだけじゃないKPOPの姿を見ることができるチャンネルなのだ。

カカオが結局金儲けの奴らに振り回されているだけなのかはまだ分からないが、音楽業界も結局金の世界。それでも、いい音楽を作っている人々を紹介してくれるLOENのような会社は揺らがないでほしいなと思う。

 

ちなみにこのタンジ日報というサイトはネットの記者が書いているものが多い。それにしてはしっかり調べられているし、面白い内容である。いや、よっぽど大衆紙の芸能面よりしっかりかかれている。

まぁ、韓国人でもあんまり読まない記事なのに日本人に需要があるかは知らない。