ソンヘギョの三菱CM拒否から考える韓国の芸能人が反日でなければならない理由

記事が消失していたので再掲します。
この記事は2016.04.26に書かれたものです。

女優ソン・ヘギョ、日本の巨額CM出演オファーを断る 「歴史問題のため」が先日話題となりました。このニュースから韓国の考える反日の意味を解いてみたいと思います。



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太陽の末裔 ~ドラマはドラマ、されどドラマ~

このドラマは、海外に派兵された軍人と奉仕医師団の女医との恋愛もの。ソンジュンギ(ユシジン)とソンヘギョ(カンモヨン)を中心とするロマンスから視聴者は目が離せなくなっている。特に「パリの恋人」「オンエアー」「シークレットガーデン」「紳士の品格」「相続者たち」などのキムウンスク作家特有のストレートかつユーモアに富んだセリフに人々は魅了されている。

ああ、こういう人が書いてたのね、と妙に納得したラインナップ。パリの恋人のパクシニャンと、紳士の品格のチャンドンゴン、セリフ臭かったわね。シークレットガーデンなんて、もうすごかったけど、確かに女子は騒いでいた。でも、相手がこう庶民的だったからか、感情移入しやすくてはまった感じがあったけど、今回は医者。正義感にあふれる感じと地震の混乱の中高いヒールをはいて歩き回るソンヘギョにはちょっと違和感を感じてしまった私なのですが。なんかきれいごとすぎる。

また、かつての男性像ともちょっと異なるのではという気がした。この記事では「女性の主人公をシンデレラにしてくれるような権力やお金は持ってないけれども、家父長ではなく家母長の時代という言葉まで出ている今の女性たちには以前までのようにそのようなものは大事ではなくなってきているといえる。」と指摘されるが、私にはちょっとピンとこなかった。権力はなくても腕っぷしと仕事への責任感と誠実さがかっこいい。そうですか、はぁ。

軍人の恋愛についてのドラマなので軍人特有の堅苦しさが言葉遣いにはあるのだが、ソンジュンギとジングの話し方によって言葉の最後が柔らかく表現され、その効果によってどんなロマンティックな表現よりも強く心に響くように感じる。

結局ギャップ萌?が、女性たちの反応のようだ。ただ、なんかしっくりこない。恋愛が現代の女性に受けたとしても、それだけでの数字ですかね。恋愛だけでここまで受けるかな?と。それもこんな早く。

ドラマで韓国はいろいろな地域で軍事作戦を行う。DMZの緊張が残っている分断国家ではあるがアフガニスタンの対テロ作戦においてアメリカ軍と連合作戦を行い、ウルクという仮想の地域に派遣された。韓国の大企業はウルクに太陽光発電所を建設し傘下の病院の民間医療団を派遣した。平和維持のために派兵された韓国軍は発電所と労働者医療団を守る任務を引き受ける。現地の子供たちはハングルが書かれた服を着ており、「ギブミーチョコレート」と叫ぶ。どこかで見た風景だ。ドラマが描く仮想現実の中の韓国はアメリカ軍の下位パートナーとして世界を舞台に軍事作戦を行いこのような軍事力を基に韓国資本が戦後再建と医療支援という名のもとに世界に進出する。2003年の派兵論者が酔っていたアジア帝国主義の風景である。

(中略)

このドラマが韓国や中国で人気があるという状況は意味深長である。帝国主義の経験がないが21世紀の覇権国家として跳躍しようとする中国の無意識と植民地の経験と分断の現実があるにもかかわらずアジア帝国主義を夢見る韓国の無意識が感じられるためだ。もしこのようなドラマを日本が作り人気が出たとするならどうだろうか。戦争ができる国になりたいとやきもきしているとそれを非難するのではないだろうか。

ロマンス以外のところでなんだかすっきりするので人気があるのではないのかということだ。世界から尊敬される国家、世界から愛される国家、世界のためになる国家でありたい。そのためには悪と戦う。それは正義だと。ドラマというフィクションの世界に入ることで、自分たちは正しいのだと感じられ、気持ちよくなれる部分があるのではないのか?と論評する。この記事のなかではそのような思いを自慰とまで表現し、ネットユーザーたちは、「そんな難しいこと考えてみてない。ドラマはドラマとして楽しむだけだ」と反応している。
ただ、作家本人が「自分の仕事に責任をもち、正しいことを行おうとする人物を描こうと思った。誰もがそうでありたいと思いながらだれもがそうはできない部分があるのでその部分では、彼らの行動は最高のファンタジーだ」と話し、理想を描いているという点で、そのような人物への思いをかなえるために物語の背景もそれに合わせて作ったということも言えなくはないだろう。作る側自身が、理想の主人公を引き立てるため、困難を作り上げているとも意地悪な見方をすればできなくもない。

「フィクションによって自尊心を回復することや、今の周りと比べて自分たちが勝っているということを確認するということは危険なことだ。」と書いているが、はて、その言葉のボールはどこに当たるのだろうか。




もちろんこのニュースはハンギョレが書いているので、突飛なところから批判しているようにも見えなくはない。なにをそこまで難しく考えるんだ?というコメントは十分理解できる。ただ、ドラマはドラマだろう、映画は映画だろうと思いつつも境界がぼやけていき、劣等感を消化する方法としては危険であるというのは一つの指摘になりえると感じられた。大衆文化であるドラマの中にはやはり大衆の心が全部ではないし正確にではないけど少しのスパイスが付け加えられ溶け込んでいるからこそ共感したり、批判したりできるのではないだろうか。
恋愛部分はありそうでなさそうでありそうな感じがしても何の罪もないかもしれないが、国民感情や国家感、民族意識というものをフィクションとごちゃまぜにするのは危険だというのは、私が日韓関係の問題について思うことを書いたときにも通じる。
ただ、このドラマは恋愛の部分ももちろん面白いし、この記事を書いたときはまだまだ前半戦。これからどんどん面白くなっていくと思うので日本に入ってきたら見てみてくださいね!

トップ画像は太陽の末裔第六話からのスクリーンショット。