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韓国人の情とは 정이 없다~giveしたから返せ返せ返せ!~

市場のおばちゃんたちは韓国の情にあつい代表のように思われるが、もっとも商人で狡猾だと思う。それは決して悪いことではないけど、なんか、ほんわかしたものを韓国に求めるなら残念に思うかも。

日本人が韓国人に言われる「情がない。(薄情だ。)’정이 없다’」というセリフ。はぁ?といつも思わされる言葉だ。今回は、この情という言葉について、表面的なことではなく、なぜ日本人がイラッと来るのか、ブラックな感情を掘り起こしてみようと思う。





情という言葉自体には愛情だとか、親近感とか、感動とか良い意味を上げればこういうことだろう。韓国語の情という言葉は. ‘정을 붙인다’ ‘정이 떨어진다’の慣用句として使われることが多く、日本人に投げられる言葉で多いのが’정이 없다’だ。直訳すれば、「情がつく(情がわく)」「情が落ちる」「情がない(薄情だ)」となるが、この言葉を使うとき一番大事なのは相手の出方である。例えばAが何か緊迫した状況にあるとする。助けてくれとBに行ったとしよう。Bは忙しいから行けないなど反応するとAは「情がない」と発言する。結局期待に答えてくれないBに対して「情が落ちる」ことになる。人として失格という烙印を押す言葉なのだ。
この背景には、AはBに対してよくしてあげた(give)のにAはBからお返しをもらえない(takeがない)といっているのだ。おれたち、そんな関係じゃなかっただろう?いろいろ助け合ってきたじゃないか、と。Bからしてみれば、行けないものはいけないと、行きたくないからそういうんじゃないという気持ちなのだろうが、もう人として失格なので、しょうがない。
情というと日本人には無償っぽい響きがあるように感じるが、全く違う。これだけしてやったのに何もリターンがないという実に計算高い言葉なのだ。
別に私も、計算高いことは悪いと思わないし、してあげたりしてもらったりがこの世の中の常。ただ、「韓国人は情があって日本人はない」というときに、韓国人が持っているtakeへの期待を消し去ってgiveの部分だけを見て言うのは韓国的な情というものを自分たちに適応するときだけ美化している。それはただケチだと思っているだけで、情どうこうではない。その部分にイラッとする。
오는 정이 고와야 가는 정이 곱다(自分から思いやってあげれば、相手も自分を気にかけてくれる)は가는 말이 고와야 오는 말이 곱다の仲間ことわざで、売り言葉に買い言葉のように訳される場合が多いが、韓国語のことわざ自体は、丁寧に話せば、相手からも丁寧な言葉が返ってくるという、肯定的な意味だ。しかし、日本人にむけられる言葉の意味はむしろ「丁寧な言葉使ってあげたんだからあなたもきれいな言葉使いなさいよ」、そして情については「私が思いやってあげたんだから、あなたも私を思いやりなさい!」と脅迫しているようにさえ感じる。




もうちょっと強度の低い「情がない(薄情だ)」でいえば、
A:友達と酒飲んでるからお前も来いよ。
B:いや、今日はもう遅いからやめとくわ。
A:薄情な奴だな

となるが、これが対等な友達関係ならいい。もし、仕事の関係ならどうか。「情がない(薄情だ)」は、人間失格の烙印に近い。だから断れない。上司ならなおさら断れないうえに、人間失格は嫌だ。それくらい薄情だの言葉には人格否定感がある。

どんな顔をして너는 정이 없네.と言われましたか?もしかしたら、韓国人ならこういう風にするんだよと教えようとしてくれてるのかもしれないし、仲良くしたいんだよ!という意味かもしれない。冗談で、お前って本当薄情だな!と、言っているだけかもしれない。もちろん私のようなのは深読みすぎる部分があるのかもしれないけれども、でも、イラッとする理由きくとちょっとすっきりしません?

愛情の情についてはまた今度。

参考サイト 얕은정과 깊은정