韓国政治が宗教的ということから嫌韓について

アンチョルスについて書こうと思っていたのだが参考にしていたキムスンジョン.comが消えた。ただ単に個人ドメインの更新が遅れて消えただけならばいいが、反政府的なこと書いて消されたのではなければいいと思う。

韓国政治と韓国社会については書きたいと思っていたので、つらつらと書いておこう。アンチョルスについて詳しくはまた。




韓国の場合直接選挙で大統領を選ぶことができるので、留学前はその点うらやましいと思っていたのだが、実際にいてみて感じてみたのは、直接やろうが間接で選ぼうが、期待は裏切られるということだ。

韓国は政治家にクリーンさを求める。「政治家はクリーンであるべきだ。」というもう幻想に近い理想。
日本も同じように大陸から多くのことを学んだが良くも悪くも政治像というものは変容していったのだろう。失望して、自分たちもはどうにもできないものというあきらめだ。どうせ裏でこそこそやっているんだろう、そういう能力も政治では必要だよね、と認めてしまっている。

しかし、韓国はそれを認めたくないのである。それがアンチョルス氏のことでよりはっきりしたなと思う。今はその人がパンギムン氏に移っただけである。きっとあの人ならクリーンで正義的な仕事をしてくれるだろうという期待。本人は大統領選挙のことについて何も言ってないし、どういう政治的考えなのかもわからない段階で支持を受けているというのはアンチョルス氏のときと変わっていない。えらい役職についている人だからきっと素敵に違いない、と。アンチョルスで分かったじゃん、と私は思うのだが韓国の若い世代が受けたショックは癒えないのだろうか。

これはやっぱり儒教的な考えなのだろう。上に立つ人は立派な人であるべきだという。日本は天皇のおかげで人格者と政治を切り離せるのだろうが、韓国は王が政治を行っていたため正義と政治は一体化して考えられやすいのかとも思う。民を思う王様は韓国時代劇にも出てくるキャラクターである。今の韓国政治は民を思うどころか苦しめるばかり。民たちの理想への思いは募るばかりだ。

国民は正義を政治に求め、与党政治家は大統領への忠誠を誓うのみ。
両者の視線が重なり合う部分は、ない。

政治の理想像を反映して、韓国は社会において、正義は存在し正義は実現されるべきであるという思いが非常に強いと思う。そう思わなければやってられないのだろう。そして、その思いを行動に移す力もある。自分が正義であると信じそれに突っ走るエネルギーは、とてつもなく大きいし制御不能だ。(慰安婦問題で国民に「理解してほしい」といっても慰安婦の人権を守るということが正義になっている人々には油を注いだだけのことである。様々な思惑のために慰安婦をイシュー化した事の発端の人々よりもよりコントロール不可になっている。労働争議の熱さもコントロール不可だ。)

その制御不能さは世界からの受けが悪い。日本においても嫌韓されるのはこのような背景がもととなって極端に表れた部分に対してだ。やはりその極端さはいたいたしさがあり、みていられないのだ。




今乗りに乗ってるヨジャチング(ガールフレンド)の人気の理由

2015年1月15日にデビューして384日目にしてテレビのランキング番組で1位を獲得したガールフレンド。2015年のスーパールーキーから2016年における代表的グループへと人気が一段と上昇したことが証明されました。
「ビー玉」「今日から私たちは」新曲「時をかけて」を発表し、それぞれ5か月以上もチャート入りしていることは老若男女を問わず、音楽そのものも受け入れられていることの証といえるでしょう。
そんな「ガールフレンド」は今までの女性アイドルグループと何が違ったのでしょうか。


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韓国の政治宗教化と韓国人にとっての理想の政治家とは

カールマルクスは「宗教は人民のアヘン」であると話したが、結局はアヘンである宗教は共産主義ではなかったか?世界での共産主義革命と集権の中でおこった残忍な殺害や人権の蹂躙は、宗教的な信念に侵されないでは起こりはしなかったことであろう。

政教分離の話じゃなくて、政治が宗教的な面を持つという話。

理念の宗教化は政治の宗教化につながらざるを得ない。宗教化された政治もまた狂信に陥ってしまう。しかし、このように暗い面だけがあるのではない。驚くほどの献身と連帯と結集をなしとげられるという面もある。韓国の民主化闘争がまさにこれにあてはまるだろう。反独裁闘争から民主化のために戦った人々の自己犠牲と献身は宗教的といってもいいだろう。彼らのおかげで今の韓国が民主主義をうたっていられるのだ。

韓国の「民主化以降の民主主義」体制の今も政治の宗教化には変化がないが、これは果たして望ましいことなのか疑問である。切迫した状況ではなくても切迫した思いや狂信のもと善悪の二分法で見ることは相手側との疎通それ自体が不可能になるためである。今の韓国の政治の問題はこのような「疎通の不能」のようなものではないだろうか。

現在のセヌリ党内部で広がる、どの朴派に所属するのかという問題は民主主義の原理に基づく政治的な行為であるというよりは指導者を教主に据える宗教的行為に近いといえるだろう。

韓国は「政党民主主義」国家というよりは「指導者民主主義」であるということを意味する。

はじめは、朴槿恵大統領への支持をもとに「親朴」と「非朴」が存在したのだが、その後はじめから朴派だった、途中から朴派になったなどと細分化された。親朴よりもより忠実な親朴だという「真朴」などもでてきた。これらは結局党内において自分が一番朴槿恵大統領を支持しているという主張をしあっているだけである。

韓国人が今度の選挙人を選ぶ際に重要視することを見てみるとより表れている。

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道徳性32.2% 公約政策28.8% 経歴能力20.6% 政党11.4% 理念4.3%

の順になる。道徳性その人が正しいことをするひとか正しくないことをするひとかということで決めたいというのである。まさに宗教的であるといえるだろう。
しかし、選挙に出る人は、権力志向があるだろう。結局党内でやってることは派閥争いだし、選挙に出る人は(もちろん全部ではないだろうが)権力争いだし、国民が求める道徳性と政治家たちの権力とはそもそも全く違うものなのかもしれない。

それでも、正しいことを正しいといってほしいというのが政治家に求める韓国国民の思いなのだ。




針の穴を通り抜けるような競争率を超えて練習生になっても…デビューまで平均3年

芸能人は最近の青少年が最もなりたい職業である。芸能人の登竜門である韓国国内の代表的な芸能事務所の練習生の管理システムに対する関心度は高い。外見だけで練習生を選ぶという時代はとうの昔に過ぎ去った。主要芸能事務所は現在は練習生の選抜からデビューまで体系的な育成システムを構築し、厳しい教育によって未来のスターを作り出している。

体系的システムによる育成ってところがすごいですね。韓国はアイドルの数も多いですし、なりたい人も多いと。教育の中で目に付くものがありますので見ていきます。


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韓国の整形家族写真としてネットで広がった台湾モデルの悲劇

正確に言うと韓国のニュースではないのですけれども、韓国とつなげて記憶している人も多いと思いますので紹介いたします。

ちょっと古い記事なんですが、日本語では、あんまり出てなかったようなので。台湾系ニュースを扱ってるところならもう訳があるかもしれません。
上のYOUTUBEの写真を見れば見覚えがある人も多いかとおもいます。

      確かに見覚えがあるけど!?

この写真が出たころは日本のネットでは韓国の整形家族の写真だと広まっていました。しかし、実はこれは台湾の整形外科医院の広告の写真でした!ってところまではネットで整理できているようです。実の家族関係はないよ、と。
でもあまりにも衝撃的な(?)写真だったのと日本人の韓国のイメージとあまりにもぴったり合いすぎちゃって韓国に興味がある人もない人も韓国整形家族の写真として見る機会があったのではと思います。
で、このニュースなんですが、このきれいなほうの女性、訴えを起こしたそうです。何に関してかは記事を見ていきます。




2012年に海外メディア報道で、中国である男性が妻に対してかわいくない娘を生んだとして離婚訴訟をしたというニュースがあった。結婚前に整形手術を受けていたことが子供が生まれてからその子供の顔で分かったためである。そして、このニュースは例の写真と一緒に報道された。
しかし、この写真はニュースに出てきた男性と女性の写真ではなかった。問題はこのニュースが世界に配信されて起こった。広告の写真のモデルである女性が報道後人々から悪く言われるようになったというのだ。
叶宛承は台湾において多くのブランドで広告モデルとして、また、ミュージックビデオに出演し活躍している人気モデルだ。しかし、この広告が報道に使われてからは仕事が途絶えた。そして「地獄で生きていた。」と話す。




紙媒体のみでつかわれるという契約であったのに、写真撮影後ほかの整形外科医院でもこの写真が使われ、その医院ではネットにこの写真を無断利用したことで写真がネットに上がることになってしまいました。ここで終わっていればそこまで被害は広がらなかったのでしょうが、またそのあとに、中国のタブロイド紙が前述のニュースを報じるときにこの写真を無断利用し全世界に広がってしまったわけです。
このせいで彼女は整形を受けて詐欺結婚をしたと世間から言われ、仕事が来なくなったとして1000万以上の収入を得ることができなかったと、広告代理店と二次使用した整形外科に対して訴えを起こしているというニュースでした。

しかし、彼女にとって大事なのは、訴えを起こし損害賠償を受けることよりも整形を受けて詐欺結婚をしたのではないという事実を知ってもらうことだったでしょう。

広告ですよ、とまでは聞いていましたが、この女性がこんな目にあっているとは知りませんでした。

そしてなぜか韓国の写真だと受け取っていた私もいます。二重に盲目だったなと思います。




でもですよ、こういうの韓国の芸能人とかで見なくもないんですよね。ユン○ナとか。整形前のおかあちゃんにそっくりだねぇって。

あ、まりこさまがKpopのMVに出てる?


지코 (ZICO) – 사랑이었다 (Feat. LUNA of f(x))

ラッパーのZICOがfxのルナに歌ってもらった曲。ZICOの曲だと思ったら一向に歌わず最後まであれ?ZICOは?と思っちゃうファン続出。コメント欄には、聞けどきけどZICOパートはない、、と。
なんでまりこさまなん?いや、素敵な曲ですけど。

一部歌詞

시간 지나면 다 없었던 일
잠시 미쳤다 생각했는데
사랑이었다 사랑이었다
이제 와 보니 사랑한 거였다

時間が過ぎればすべてはなかったこと
一時の気の迷いだと思っていたけど
それが愛だったんだ 愛だったんだ
ここまで来てわかった それが愛だったんだ

ZICOぽくないけど、それが狙いなようです。こんなきょくもかけるぞ!と。




カンドンウォンが顔だけでなく心もかっこいいという話

カンドンウォンが事務所を移るという。YGにだ。海外経験のある事務所であるということで決めたようだ。こう考えるに至った理由もカンドンウォンらしい。

彼が海外進出を夢見る理由は、言ってしまえば実に簡単である。
よりよい環境で映画を作ること。
それは俳優だけでなくスタッフも含めてである。それは贅沢にという意味ではなく、末端のスタッフまですべてが人間らしい環境で仕事をしたいということだ。

カンドンウォン:映画の予算が決定したらスケジュールに追われることになる。それはとても大変なことだ。スタッフたちもそう。スタッフの数も余裕がない。そういった環境がもっと良くなったらと思うが、そのためにはより多くの人々に映画を見てもらわなければならない。そうすれば多くの協賛も得られるのだが、結局は韓国の市場が狭いので十分な条件下で演技をするのは難しい。

こういった考えのもと、マネージメント先を模索しYGに決めたということだ。いい映画だからというその理由によってのみでは海外で多くの人に見てもらうのは難しい。まず、俳優が有名になれば映画を海外でもたくさん見てもらえる。そうして韓国でも何百億とかけられるような映画を作ってみたい。彼の思いは自分の欲だけでなく、韓国の映画業界やそこで働く人々への思いが根底にあるのだ。

 





 

この話だけでも、十分いい人なのは伝わるが、もうひとつ紹介。

「20年来の友達のためにノーギャランティーでMVに出演のビハインドストーリー」
カンドンウォンと今回出演したMVの歌手であるジュヒョンジンはゴチャン高校の1年の時から寮でともに生活をして、現在までも一番仲の良い友達として付き合ってきた中だという。
ジャズシンガーソングライターという韓国の音楽業界では目新しいジャンルで音楽活動する友達のためノーギャラでMVに出演した。

ジュヨンジンは二年ほど前からカンドンウォンのボイストレーニングを毎週行っていた。その中でカンドンウォンが新しいアルバム制作中であったジュヨンジンに提案しイタリアでミュージックビデオをとることになったという。

カンドンウォン自ら提案をしMVも撮ったということで、自分で映像作品をとることにも興味があるカンドンウォンからしてみれば、仕事というより友達との刺激のある共同作業だったのだろうと感じられる。
비밀을 말하다 – 주형진


と、書いてみたが、カンドンウォンのただのかっこいい映像集やないかい!というきはしないでもない。彼見たさに音楽を聞いてくれればよさが伝わる。まずは聞いてほしい、そこからだってことか。

過去にも、ジュヨンジンのMVには参加している。
주형진 – 강동원 in a day


ソウルの町をまわってますね。ソウルタワー、ハンガン観光遊覧船、ノリャンジン水産市場と、有名どころ、絵になるところを回っておられます。表情としては、こちらのカンドンウォンのほうが自然だ。
いやー、にしてもいい友達持ちましたね!プサンナムジャ(釜山育ち)の親近感がありながら都会的な近寄りがたい雰囲気を持つ彼。これからも韓国女子の理想の男であり続けるのは間違いないだろうけど世界のカンドンウォンになることを期待してます。

 




ジュンケイ(Jun. K)インタビュー②

インタビュー前半からの続き

最近のことについて

このインタビューはお酒を飲みながら正直に深い話を聞くというインタビューです。

ーほろ酔いインタビューのお決まりの質問なのですが酒はどれくらい飲めますか?
焼酎1本半です。これくらい飲むとかなり酔いますね。ビールはおなかが膨れるのであまり飲まないほうですね。焼酎がある飲みの場が好きですね。

ーお酒を飲むときは誰と飲むことが多いですか?
メンバーと、あとキムジョハンさんとです。偶然ジョハニヒョン(前述キムジョハン氏のこと。ヒョンとは男性から見た年上の男性を愛着を込めて呼ぶとき名前に付ける)となかよくなり、お酒を一緒に飲むことがおおいです。ヒョンはお酒をよく飲みますね。

ーよく話すメンバーは誰ですか?
6人全部そうです。最近も一緒にお酒を飲んだんですが個人的なことも全然隠さないで話せる友達ですね。悩み事も話しますしおたがいそうです。

ー最近はどんな話をしましたか
あたりまえですが2PMの将来のことです。去年JYPと再契約をしましたが来年は軍隊に行かなくてはいけないんです。じぶんとテギョンとです。ほかのメンバーもいつ軍隊に行くのかという話をしました。決まったことはないけれど結論は出ましたよね。6人がばらばらになることはないということです。もう一度確信を持ちました。

ー2PMは最後までいくっていうことですね?
解散はないです。自分たち同士で話しました。みんな30代に突入するところなので人生に関してもう一度考えることになると思います。でも2PMがなくなったりすることはないです。メンバー変更があることもないです。振り返ってみる時間になりましたね。不思議なことに話してみたらメンバーみんなオトナになってましたね。ただただ子供だったジュノもですよ。

ー覆面歌王に出演されて準決勝まで残りましたね。結果には満足してますか?
できすぎだとおもいます。覆面歌王は普通3週くらいかけて準備するんですが自分は5日前に話が来たんですよ。時間がなかったんですが前から出てみたかった番組だったのでやることにしました。2日前にバンドとの練習をしてなんとか準備しました。曲を選ぶのがけっこう制約が多くて。前に出演した歌手が歌った歌はだめなんですよね。推薦されて自分が歌うことになった曲がイジョク先輩の「レイン」でした。この曲は母が好きな曲です。自分はよく知らなかった曲でした。うたいあげるよりも自分の普段からのスタイルで淡白な雰囲気にしたかったんです。結果的に3ラウンドまで進出して驚きましたね。準備していた曲は全部うたったことになりました。「オンマ」(おかあさんの意)をうたった時は観客の中に何人か泣いている方もいらっしゃって。声だけで伝えられる歌の力を改めて感じました。

ー後悔はないですか?
日本に初めて行って2PMとしてデビューして公演をしたとき「雪の華」をうまく歌えなくて話題に上がったことがありました。音を外したんですが「ヤギの華」だってばかにされたりもして。本当に恥ずかしかった。歌手として、のどの管理をきちんとできなくてそうなってしまいました。声帯結節があったんですが新人だったので「できそうにない」といえなかったんです。今でもその動画は見られるんですけどそれを挽回したかったんです。ヤギの毛をつけて「雪の華」を歌おうとしたんですが準備する時間も足りなくて、覆面を作る時間もたりなくてそれはできませんでした。




家族のこと 練習生時代

ーご両親はどんな方ですか?
父は厳格な方でした。経済新聞の記者でした。母はつつましく私たちと多くの時間を過ごしました。中学校の2年の時、音楽のほうに進みたいと思ったんですが最初はできないだろうなと思っていました。父が厳しいですし自分に多くのお金を使えるような状況ではありませんでしたから。ご飯が食べられないほどではありませんでしたが家庭教師をつけてもらえるほどの環境ではありませんでした。そのころ自分は数学がうまくいかなかったんですが家庭教師代が30万ウォンほどかかるときでした。(家庭教師をつけてほしいと)母になんとか話してみたんですが父と母がけんかすることになってしまって。そんなかんじでした。そうして高校の1年の時進路を音楽に固めました。実用音楽を教えてくれるところがあったんですがそうしたらまたお金がかかるじゃないですか。家にはもちろん頼めないし、結局大邱で行われたいくつかの歌謡祭に参加しました。そこで偶然賞をとって。そのとき母は自分の思いを理解してくれたみたいです。父は反対し続けていましたが高校2年の時ソンヘ先生が司会されているドンソン路歌謡祭があったんですが、そこで1等を取って29インチの平面テレビをもらいました。父の部屋においてあげたら「これはどうしたんだ?」といいながらも喜んでくださいました。そのとき予備校に通うことの許可がおりました。月28万ウォンかけて9か月通ってJYPとYGにデモテープをおくったりもしました。

ーデモテープを送った後はどうでしたか?
実はYGから先に連絡がありました。そのあと一緒に音楽をしていた友達とYGにいったんです。ムグンファ号にのって。そのときヤンヒョンシク社長に会いました。2004年のはじめでした。そのとき社長がGドラゴンとテヤンに合わせてくれて、88年生でグループを作るんだと話していました。社長の前で「アイビリーブアイキャンフライ」を歌いました。社長はデモテープと同じで上手だといってくれました。そうやってほめられて気分もよくなって大邱に戻る途中でJYPから連絡が来ました。週末にJYPのオーディション大会があるから参加してみないかという話でした。最終的にはパクチニョンさんも来ていたそのオーディションで1等になってそのままJYPの練習生になりました。YGには電話で事情を説明したら、そっちでがんばるようにと応援してくださいました。

ーJYP練習生になったあとは?
私はダンスが本当に下手で基本から学びました。本当に怖い先生方にトレーニングを受けました。そのときのジニョンイヒョン(社長)の注文は「3か月でピ(レイン)のようにおどれるようにしろ」だったそうです。そうだったから雰囲気は本当に殺伐としてました。

ー2PMのなかで最初に練習生になったんですね。
そうです。でもデビューまではつらかったです。デビューが6回ほどなくなりましたから。いつからか機会が与えられても避けるようになったんです。不安だったし傷つきもしました。この道であっているのか違うのかと、ニックンとテギョンと同じ年であるように親しくなり、一緒にがんばろうと慰めあいました。
ー練習生の時に最もつらかったことは?
誤解されて会社から追い出されていた時がありました。毎日9時にカードを押して練習していたんですが、時間がなくて友達にカードを押してくれと頼んで、自分はコンビニで朝ご飯を買っていました。その日新人開発チームが自分をよんでいて、なんで偽装出席をさせていたのかと、誤解が生じて、大邱に返れと。大邱には帰れないので大学生の友達のところに一か月いました。そのあとまた友達のコシウォン(学生向けの広さが限られた部屋)にいました。生活費がないので新聞配達をして、日雇い労働にも行きました。でも、自分ができることってほとんどないんですよね。その時はよくないことが重なりましたね。




ーソウルでの生活は金銭的にも大変だったのでは?
2011年からお金を稼ぐようになりました。そのときの家はかびがはえるくらい良くないところでした。2012年1月に父に会って引っ越そうといいました。母が病気だったのでもうすこし良い家に移してあげたかったですね。母がモートン神経腫という歩くたびに足が痛い病気にかかっていました。なので、手術を5回しました。全身麻酔をする大きな手術でした。そのとき父と二人で母の病室から出て大邱のスソン湖で話をしました。父と二人でそうやって話をしたのは初めてでしたね。なのにその1週間後心臓麻痺でなくなりました。そのとき弟と自分は旅行中だったんですが父が倒れたと聞きました。息をしていないと。その時は何をしていたのか全然わからないし、全く信じられませんでした。5分後に医者から電話がかかってきて父が亡くなったので早く帰って来いと。あまりの衝撃に何をどうしていいかわかりませんでしたね。母は自分たちの旅行の邪魔になると倒れたという事実すら後から話してくれました。父が亡くなった日、信じられないし涙も出ないしいったいこれは何なんだ?というおもいでした。父の体を拭くとき父を見ましたがそのとき世界がすべて崩れ落ちました。そのときが旧正月の前でしたがたくさんの方が来てくださいました。大邱にまでです。そうやって父を送り出して、母が大邱に一人になってしまったので母を連れて来なければと思いました。弟が水原の京畿大学にいたので水原に引っ越しました。

ー改名の話はどうやって出てきましたか?
父が亡くなってから一か月後母から聞きました。でもいやで10か月は話を聞きませんでした。いままで知られていたのに変えてもいいことがないじゃないですか。そうした中母が甲状腺がんにかかり入院しました。足の手術を5回もしているので今度の全身麻酔からは覚めることができないかもしれないと医者が言いました。そのとき名前の話を病室でまたしたんです。なのでジニョンイヒョンと社長に話しました。このときジニョンイヒョンが「こういうときはお母さんの話を聞くのがいい」といってミンジュンに改名しました。そのとき作曲家としての名前のジュンケイなので芸名もジュンケイにするのがいいという意見が集まりました。しかし、改名後人々はなんでジュンケイなんだと悪くいうようになりました。事情を話したとしても生意気にみられるだけのような気もしましたし、2PMに関する問題もあったのでアンチファンもいました。そんな中で日本でソロ活動のアルバムがオリコン1位になりました。全部自分で作曲したものでした。韓国ではジュンケイ1位と報道されましたが、みんなだれなのかわからなかったようです。また名前のことで成果が隠れてしまうのか、と思いました。ストレスがひどかったですね。

ージュンケイにとって父とは?
ひとことではいえません。父とは対立的な関係でした。忘れられないことがあります。中高校生の時勉強していたら父が肩をつかんでそのまま去っていくんです。その気分を忘れることができないですね。朴訥(ぼくとつ)ながらあたたかみのあるかんじです。父に本当に申し訳ないです。もっと父との時間を過ごすことができたのに、まだ若かったんです。大邱に返っても友達と会うのに忙しかったし、父母と過ごす時間はあまりまりませんでした。父を先になくした友達が口癖のように「両親にやさしくしろよ」と言っていたんですが、今は自分がそういっています。両親と少しでも長く一緒にいてあげろ、と。自分はそうしてあげる勇気がない性格みたいです。両親もそうですし。まだ健在の人はそんな風にならなければいいなと思います。父が亡くなったというのはまだ信じられません。自分にはまだ大きな存在で、心が安定する存在です。

ー家長として責任感もあるのではないでしょうか?
父が亡くなってからは楽ではありませんでした。人生で最悪の年でした。失敗も多かったですし、お酒もたくさん飲みました。その後は家長としての責任感ができました。父が亡くなった後死亡届を出して父の会社の整理などすべて自分が行いました。母は病気がありましたから自分がしなくてはいけませんでした。自分もその時はまだ若かったですからわからないことだらけでしたが助けてくれる人もいませんでしたからね。その時思いましたね、自分が悲しんでいるだけでは何も進まないんだなと。社会というものを学びました。成長したのかな?弟に責任を押し付けようとしたこともあったのですが青春の50%をすでに失った弟を思うとそうはできなかったですね。弟には本当ありがたいなと思っています。

ーおかあさんはどうですか?
今は水原にいます。アパートは自分が準備しました。母の病気はよくなったりわるくなったりですね。

ー心配ですね
きついですね。2月3日が父の命日です。父の命日のたびに大邱の共同墓地ににいって声に出して話すんです。「母のことしっかり守ります。」と。なので、母と弟とうまくやっていこうとがんばっています。




これからの活動予定

ーソロとしてのジュンケイの活動は韓国では行いますか?
そうですね。新曲を出た場合会社でモニター30人評価を行うのですが80点以上でなければなりません。そのシステムについては自分は完全にいいものだと思うわけではないんです。80点という点数が答えであるわけじゃないじゃないですか。昨年にはそのケースがうまくいったのもあればそうでないものもありますから。これからは自分のことをできるだけ話していきたいです。自分が生きながら感じたことを人々が共感してくれたらとおもいます。いままでは芸術的な面を加味していたといえますがこれからはリアルに伝わる音楽を作っていきたいなと思っています。

ー日本ではソロのジュンケイが人気がありますね。
2PMとしてアルバムを出してからはけっこうたってしまいました。自分が作った歌としては2PMも併せて5枚で、ジュンケイ名義ではミニアルバムを二枚です。ソロアルバムではデイリーチャート1位ウィークリーチャート2位になりました。1枚目二枚目ともにです。本当ありがたいです。

ー韓国とは異なる反応ですよね?
日本ではテレビよりもコンサートを中心にうまくいっています。あの人が上手だといううわさがあればコンサートに来てくださいます。日本は直接見るということを重要視しているようです。コンサートではできるだけ自分のカラーを出したいと思っています。一生懸命しました。いつかは自分に機会が来るだろうと。そうしているうちに日本でソロの話が出てCDをだして良い結果につながりました。

ー韓国でもソロで活動してみてもらいたいものがあるんですよね?
韓国では自分の音楽が知られていないように思います。まずは自分がやりたいことをやってみれば「なんだろう?」と関心を持ってくれるだろうと思います。まだ2PMで覚えてくださっている方が多いと思うのでソロで出てしまうと自分への反感があるのではないかと考える部分はあります。韓国でどのように受け取られるかはわかりませんが、自分のやりたい音楽は必ずやってみたいと思っています。

ー2PMが向かうところはどこでしょうか?30代が近くなってきていますが。
30代というとこう、ガッと来るものがありますね。まずは2PMが見せられるものはまだあると思います。まだメンバーそれぞれが表し切れていないものがあると思うんです。皆さんの共感を得られたらそのとき2PMが一緒にするときのシナジー効果が大きいと思うんです。自分が思うに、転換点が必要なんです。メンバーそれぞれの個人の仕事も大事です。2PMがただでていくっていうのは自分たちも望んでいません。

ーパクチニョンさんに最もありがたいことは?
自分を連れてきてくれてことがありがたいです。選んでくれたということです。ジニョンイヒョンから学んだことは本当に多いです。音楽的にです。隣でヒョンが音楽作業をするところやレコーディングするところを見てです。ヒョンは勉強をよくするし、一生懸命生きている人です。体の管理もそうです。ステンレスを使わないそうです。体に良くないと。一度コンサートに行って驚きました。60代まで音楽をやるといっていて。ウヨンと二人でいたんですがその話を聞いてちょっとはーっと思っちゃいましたね。もう引退して自分たちに機会をくれたらいいのにって、ハハハ。本当に熱意はすごいなと思います。いつもありがたい方です。人生に危機が訪れてもその危機がより大きくならないように助けてくれるので。

ージュンケイの恋愛もきになります
彼女はいません。タイプは昔から女優のキムミンジョンさんです。なので彼女がコンサートに来てくれた時に写真を撮りました。自分のファンが彼女のところに行ってサインをもらうくらいです。小さいときに「キッドカップ」を見てはまりました。忘れられません。正直で、世の中の人が自分について悪くいったとしても自分の味方になってくれる人がいいです。あれこれ考えてああだこうだいうのよりは信じてくれるのがいいです。信じること、正直であることそういうことが大事だなって思います。

長いインタビューでした!




ジュンケイ「ほろ酔いインタビュー」やぎの華の屈辱、覆面歌王出演で挽回

やぎのはなってなんのこと?記事の中に出てきます!

ジュンケイ(2PM 28歳)は三つの名前がある。
出生時の名前はキムジュンス、改名後はキムミンジュン、芸名はジュンケイである。改名したことでネチズンの間ではいろいろな憶測がとびかう。「JYJのキムジュンスにひるんだのか?」というものから、「有名になりたくて名前をかえたのか?」「変えたところで俳優と一緒の名前かよ。」「この芸名いったいなんだよ。」など。なんといっても改名に関するコメントが多いので本人もこのことに関してはよく思っていないのは間違いない。しかし、本人には名前を変えなければいけない理由があった。そして改名には彼の家族と彼の人生をすべてが圧縮された事件があった。
2012年1月彼は父を亡くした。なくなる1週間前父とカフェで闘病中である母をしっかり看病していこうと話をして、立ち上がった後だった。心筋梗塞。突然の死だった。当時24歳であったジュンケイにはあまりにも大きな悲しみであった。経済新聞の記者であった父は厳格であった。しかし、勉強している彼の肩に手を置いて何を言うわけでもないがそのまま去るようなあたたかい家長であった。そんな父が亡くなる前まで望んでいたのが彼の改名であった。また、闘病中の母が大手術を前に5回目の全身麻酔を受ける前日彼の手を握りしめながら「父の遺言だから名前を変えることはできないだろうか?」とはなした。
ジュンケイにとって2016年は跳躍の年だ。日本市場においてソロとしてアリーナツアー開催できるほどになった。2PMメンバーの中で、日本においてアーティストとして最も認められているといえる。2PMもまた跳躍が必要である。その中心で2PMの進む道は音楽であると見せつけなくてはいけないのが彼である。この跳躍の第一歩として仮面をかぶってMBCの覆面歌王に出演した。ソロ歌手ジュンケイをみてほしいという思いであった。そしてこの「ほろ酔いインタビュー」においてテレビではできない話をしてくれた。父と母、その名前を呼ぶだけでも胸が苦しくなるが、今回はすべて話してくれた。駆け上がっていくジュンケイのスタートであるから。

ということで、あまりにも長いインタビューなので、二回に分けます!

インタビュー2




ヌリ課程の予算闘争 누리과정 예산 갈등

日本でも私立幼稚園に入れる際に補助金があるが、段階的なもので、授業料がただになる家庭というのは限られている。また、毎年補助金の予算が通ればもらえるというものでいつなくなるかもわからない制度だ。また一人目は助成額が少なく、2人目で約半額、3人目でほぼ全額ただとなる制度だ。そんな不安定さでは幼稚園は負担少ないから産もうという動機にはならないと思うが、名目上公立との不平等解消のための一政策となっている。
韓国では朴槿恵政権(2013年)から無料化を政権公約としはじめられたが、予算をどこから出すかということで押し付け合いが起こっている。

ヌリとは韓国語で全世界の意味です。ヌリ課程とは年少から年長までの子供を国の責任で教育を行いより大きな夢を描き幸せな世界に進んでいけるようにという思いから推進されている政策です。具体的には子供たちが政府の支援によって幼稚園や保育園に通えるようにするものです。この政策を進めるにあたってどこがお金を負担するのかということに関して政府官庁の間で争いが起こっています。

日本の補助金はあくまでも子供を通わせる側に返ってくるお金ですが韓国では様子が違うようだ。

 사립 유치원 교사·원장·학부모 보육대란 도미노 시작

私立幼稚園の教師・園長・親 混乱の連鎖がはじまった1月20日が幼稚園のヌリ課程の補助金の入金日であったが、ソウル、キョンギ、クァンジュ、全南地域の幼稚園は教育庁からの補助金を受け取れなかった。とうとう始まってしまった保育騒動は幼稚園教師への給与未払い、幼稚園の園長の借金、親たちの29万ウォンの追加納付へと連鎖していくだろう。

このように園へ直接お金が行くので、親たちも園も補助金に頼っているというのだ。日本式ならば、園には一旦親からのお金が入るが、韓国方式ではそうはいかない。保育園は国庫から直接お金が入るのでまだ混乱は小さいというが、それでも、はいるべきおかねがはいらないとしわ寄せは、子供たちにいってしまう。

韓国の幼稚園や保育園に関する報道でたびたび目にするのが給食の質の低さである。カビが生えた食材を使っての給食の提供や、体罰・暴力というのはここ一年だけでも多く目にした。なぜかというと、運営がカツカツなので食事で削減しようとする園があるというのだ。もちろんごく一部の園であるが、入ってくるお金が限られている以上削るしかなく、教師への給与も決して高くない。(今回の事態で1月25日に給与を受け取れなかった教師が出ている。記事

2013年に乳幼児保育法と幼児教育法が改正された。その案の中で保育費を地方教育財政交付金で充当するという内容が入った。これによって保健福祉部の管轄であった保育園の保育費が国庫と地方自治体に移った。これによって昨年の9月に企画財政部は来年度の予算にヌリ課程支援予算を策定しなかった。そのうえに政府の税収が落ちたといって地方の教育庁への交付金も前年から3%減らした。
政府側は、「国庫の負債が大きいが地方自治代の負債は国庫ほどおおきくない。ヌリ課程の予算は2012年からすでに段階的に自治体への交付金で負担することが原則だった。」と、予算を策定しなかったという。

 

結局、お金がない以上ない袖は振れない。去年から予算に関しては政府地方自治体間でやり取りがあったようだが、ここにきて完全にコップの水があふれてしまった形になった。

日本もいつ補助金がなくなるかわからないが、親たちはもらえれば儲けものくらいにしか思ってないし、金額もすくない。
韓国は大きくは出たが、結局まったくできていないわけで、初めからやらなきゃよかったのに、という形になってしまった。結論としては、私学は結局親も負担しなくてはいけないし、公立だってそれ相応の負担をすることになる。それを助ける形で国家も一緒に負担をすればいいという制度に立て直していく方向性を政府が示せばいいだけのことだ。
今回は、政府側があまりにも地方自治体に丸投げだ。交付金はだすからその中でやれるだけやればいい、ほかのところから予算を持ってくるならそれは地方それぞれだという言葉もなしに、全部やれ全部やれでは地方自治体も困るだろう。
そしてなによりも、子供たちが安定的な幼児期をおくれるようにするべきである。お金のことで悩む姿を見せるのは、もう少し後でも遅くないはずだ。




というのが、きれいごとの話で、このなかのコメントには、左派の教育監(自治体側)が政府と対立し政府側を悪く見せるために政治的材料に仕立て上げたのだという意見もある。どっちにしろ被害者は子供たちだ。