韓国人の韓国不信を個人のせいにする朝鮮日報韓国人論説員への反論

CNBLUEヨンファのインサイダー取引に関してのコメントで「なぜ韓国人は自分の国の検察を信じないのか?検察は馬鹿じゃない」とのコメントをいただきました。
はい、韓国人は韓国を信じてなんかいませんよ。自分の育った国であろうとも。愛国心が強いと伝え聞く韓国人が公権力を信用してないだなんて矛盾じゃない?、と日本人にはピンと来ないかもしれませんが、検察は確かに馬鹿ではありません。だからと言って正義でもないんですよ、日本にしたって韓国にしたってと言いたいです。



韓国朝鮮日報の記事をまず紹介しましょう。
【コラム】排ガス不正発覚後もVWが売れる韓国人の特殊性

いくつか引き出してきます

ドイツの大手自動車メーカー・フォルクスワーゲンによる詐欺にも等しい不正行為が発覚し、世界各国で販売に大きなブレーキがかかっている。ところがそのような中、唯一韓国でだけは「これまでと変わらず販売が好調」などと報じられ、多くのことを考えさせられた。韓国社会の特性、あるいは韓国人の心の奥深いところで影響を及ぼすDNAとでも言うべきもの、あるいはわれわれが克服しようにも簡単にはできない限界のようなものが、意外な形で表面化しているように感じるからだ。人間は誰でも「他人」よりも「自分」の方が重要で、「世の中」よりも「自分の家族」の方を優先する。しかしそれにも一定の限度というものがあるのではないか。

楊相勲(ヤン・サンフン)論説主幹は、韓国人が人のことより自分のこと、国よりも自分と考えるのはDNAレベルのことで、解決不能だという。
いやいや、いあなたがそういってしまうの?と。

中東呼吸器症候群(MERS)の感染が拡大した当時、実際は感染の心配がほとんどない数百万人がマスクを着用して生活した。ところが医者の話を聞くと、本当にマスクを着用すべき肺の病気のある患者たちは、一歩病院の外に出るとマスクを着用しなくなるという。自分が感染する可能性が少しでもあればマスクを着用するが、自分が他人に感染させる立場にある場合はマスクを着用しない。

韓国の身勝手な行動として、マーズの時を対応を上げています。自分が感染する恐れが無ければ他は関係ないという論理構成だ、と。

「韓国人は自分の家から出るごみは塀の外に投げ、日本人は塀の外のごみを自分の家に持ち帰る」という言葉を聞いたことがある。(中略) 道端にごみを捨てないことはさほど難しいことではない。それができないのは、その人が「家の外は自分とは関係ない場所だから何をやっても構わない」と考えているからだ。自分と自分の家族以外の領域といえば社会と国だ。口では「自分は愛国者」と堂々と語る人間はこの国にいくらでもいるが、本当に社会と国のことを考えるその根底には何があるのか、それを考えると背筋が寒くなるときがある。

「外敵と戦うときはでくの坊、われわれ同士で戦うときは鬼のような勇士」と言われる韓国の歴史は、このような韓国人の特殊性をよく表している。6・25戦争から60年が過ぎた今、国民安全処(省庁の一つ)が実施した世論調査でもこれを裏付ける結果が出ている。戦争が起こった場合、成人の45%、大学生の62%が「国よりも個人や家庭の方が優先」と回答した。世論調査でこのような結果が出たとすれば、実際に戦争が起こればどうなるだろうか。われわれはもしかすると、大黒柱のないまま細々と生きている国に住んでいるのではないだろうか。

さて、ここで楊相勲(ヤン・サンフン)論説主幹は大黒柱は国民だからその国民が非常事態には一致団結できないのでは?と憂慮しているようです。終始国民批判です。
さて、戦争が起こった場合国と個人どちらが重要か?という質問を韓国の超大手である朝鮮日報の楊相勲(ヤン・サンフン)論説主幹にしてみてはどうだろうでしょうか。
国会議員たちにしてみてはどうでしょうか。



ネットの反応はこうである「まず先に信頼され、愛される国家になってみなさい」

韓国人として韓国に住む人たちは国に忠誠を誓うことが市民の公共の利益になるような国でなければ公と忠誠は両立しないとコメントします。
国側が国民というものは国に忠誠を誓うのは当たり前だから、その思いは乱用してもよいと考えている部分が見えるためそのことに納得いっていないのです。自分たちの存立が確立されたうえで社会の共同体の一員として犠牲になることは厭わなくても、国民というものは国のために犠牲にならなくてはならないというのは、飛躍しすぎであり、共同体の一員そしてそのさきのkにというものに対して自然と持つようになるものが忠誠心ではないかと主張します。
また、国への自然な忠誠心を持てるようにするために、政治家や企業風土を作っていけるように導く力を持っているマスコミがむしろ政治にへつらっているのに、その部分への自負心はないのか、とも主張します。「上の水が汚ければ下の水も汚い。」という慣用句を引用して、まず上がきれいになる努力を!と言います。

でも、「上の水が汚いから下の水も汚いのはしょうがない。」というのは違うんだ!という主張もありました。上の水が汚いからと言って自分たちが汚い水になることをしょうがないと思って結局汚い水になる必要まではない。こういう韓国の現状を恥ずかしいと思って自分は正しく利他的に生きるようにしたい。個人が努力しないで人のせいにするのもまた韓国の国民性の一つでしょう。という一歩進んだ意見もありました。




韓国の政府に対する不信感は日本人が想像する以上に深刻だと思います。それは生活するのにやっとで、余裕を持つのが難しいということもあります。しかし、生活が苦しいのも企業が政治をまきこんで最低賃金を上げないからです最も根本的な社会構造において積極的に不合理を作り上げているのが企業であり政府であるのに、それに対して忠誠を誓わないのはDNAのせいで絶望的だとうのは論説主任さんが飛躍しすぎかなとは感じます。
しかしまた、うえがああなんだから仕方ないだろう?という言い訳もまた通らないのもその通りであるでしょう。だれが何と言おうともいいことはいいこと、悪いことは悪いことと言うことは個人レベルでもできるはずです。しかし、企業でもそうですが企業のマイナスになること特に業績としてマイナスになることを言うことはそれもまた企業の尺度で正義ではないのです。国に関していえば、軍人にもっと給与を与えようなどというと国にとっては苦しくなりますから国にとっては正義ではないのです。そういう都合のよさに韓国に住む人々は疲れ切っているのです。

CNBLUEヨンファのインサイダー取引に関してのコメントに関しては日本人には少し理解しがたいけれども韓国人が検察を信じたくないのにはそれなりに理由があるのです。



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