韓国政治が宗教的ということから嫌韓について

アンチョルスについて書こうと思っていたのだが参考にしていたキムスンジョン.comが消えた。ただ単に個人ドメインの更新が遅れて消えただけならばいいが、反政府的なこと書いて消されたのではなければいいと思う。

韓国政治と韓国社会については書きたいと思っていたので、つらつらと書いておこう。アンチョルスについて詳しくはまた。




韓国の場合直接選挙で大統領を選ぶことができるので、留学前はその点うらやましいと思っていたのだが、実際にいてみて感じてみたのは、直接やろうが間接で選ぼうが、期待は裏切られるということだ。

韓国は政治家にクリーンさを求める。「政治家はクリーンであるべきだ。」というもう幻想に近い理想。
日本も同じように大陸から多くのことを学んだが良くも悪くも政治像というものは変容していったのだろう。失望して、自分たちもはどうにもできないものというあきらめだ。どうせ裏でこそこそやっているんだろう、そういう能力も政治では必要だよね、と認めてしまっている。

しかし、韓国はそれを認めたくないのである。それがアンチョルス氏のことでよりはっきりしたなと思う。今はその人がパンギムン氏に移っただけである。きっとあの人ならクリーンで正義的な仕事をしてくれるだろうという期待。本人は大統領選挙のことについて何も言ってないし、どういう政治的考えなのかもわからない段階で支持を受けているというのはアンチョルス氏のときと変わっていない。えらい役職についている人だからきっと素敵に違いない、と。アンチョルスで分かったじゃん、と私は思うのだが韓国の若い世代が受けたショックは癒えないのだろうか。

これはやっぱり儒教的な考えなのだろう。上に立つ人は立派な人であるべきだという。日本は天皇のおかげで人格者と政治を切り離せるのだろうが、韓国は王が政治を行っていたため正義と政治は一体化して考えられやすいのかとも思う。民を思う王様は韓国時代劇にも出てくるキャラクターである。今の韓国政治は民を思うどころか苦しめるばかり。民たちの理想への思いは募るばかりだ。

国民は正義を政治に求め、与党政治家は大統領への忠誠を誓うのみ。
両者の視線が重なり合う部分は、ない。

政治の理想像を反映して、韓国は社会において、正義は存在し正義は実現されるべきであるという思いが非常に強いと思う。そう思わなければやってられないのだろう。そして、その思いを行動に移す力もある。自分が正義であると信じそれに突っ走るエネルギーは、とてつもなく大きいし制御不能だ。(慰安婦問題で国民に「理解してほしい」といっても慰安婦の人権を守るということが正義になっている人々には油を注いだだけのことである。様々な思惑のために慰安婦をイシュー化した事の発端の人々よりもよりコントロール不可になっている。労働争議の熱さもコントロール不可だ。)

その制御不能さは世界からの受けが悪い。日本においても嫌韓されるのはこのような背景がもととなって極端に表れた部分に対してだ。やはりその極端さはいたいたしさがあり、みていられないのだ。




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