ナイナイ岡村の女性卑下発言からみる韓国のフェミニズムとコンプレックスの解決方法の困難さ

先週の岡村発言。女性の貧困を待ち望み、より質のいい性をお金で買う喜びを表明したものでした。あまりにも、不謹慎の総合セットのような発言で、時の話題になりました。コロナで人々が不安な中、あまりにも配慮を欠いた発言だったと思います。擁護論者がどこを擁護するのか、批判論者がどこを批判するのか、それによってこの問題発言のどの部分に視点を置いて話しているのか違いが出るくらい、この発言は、経済格差、女性の貧困と性売買、お笑い業界の世間の感覚との違い、高齢化による思考の硬直化、コンプレックスなどあらゆる社会と個人がかかえる問題点が含まれる発言でした。

韓国でも、日本よりは数年早くからフェミニズムが叫ばれていましたが、今回も女性側からの反発が異常に大きかったと思います。その理由の奥底には、自分自身の力で変化を起こしにくい社会的構造への不満があると思います。

岡村さんが初体験が性的に蹂躙されたものであったということはオールナイトの視聴者なら当たり前ですが、日本の世間の女性にはあまり知られていないことだと思います。彼の個人の経験を基に、岡村さんの理想の女性像というものはかなり偏狭なものになってしまいました。岡村さん自身がコンプレックスを抱えているため、人と付き合うことにもかなり難しさを抱えている部分があり、長年、お金で女性への欲求を解決していた部分があったように思われます。

岡村さん自身が性的にショックな経験があるにもかかわらず、女性に対して、お金が無くなれば、性を売りに来るから楽しみだと言うことに何も思わなかったというのは根強い男尊女卑感があるのだと思います。矢部さんに、人とのかかわりを拒絶してきたからこそ、かわるきっけもなかったし、変わることを拒否していると、電波で公開説教されてしまいました。笑われたくないと常日頃思っているにもかかわらず、結局人々に笑われるどころか呆れられてしまいました。

岡村さんは、自分のコンプレックスや体験を女性全体に広げ、自分の中で女性は買えばいい、女性と付き合うのはめんどうくさい、女性は自分のお金ばかり見ているのだと長年感じてきたように思います。それは、韓国女性たちが使う論理と同じです。主語を大きく言うことで、敵を作って、まずそこからすべての思考をスタートさせるというものです。

岡村さんは、別に、女性卑下運動をしているわけではありませんが、韓国のフェミニズム運動は、韓国国内であまり受け入れられない一因に主語の大きさがあると思います。

各個人が受けて嫌だった行動は、昔ならば公共化されませんでしたが、現代社会では広く共有ができるようになり、フェミニズム自体も日本韓国だけでなく世界的に叫ばれるようになりました。だから、岡村さんのような考えは人権的にな側面から見れば、許されないものだと多くの人が考えられるようになってきました。人の尊厳を食い物にしているわけですから。もちろん岡村さんは見た目もよく若く、高い値段のつく女性を求めているのであり、貧しい女性がいることすらも、見えていないでしょう。だから、岡村さんは、本当に何が悪かったのかはまだ、実感できていないと思います。そのような女性がいることを知らないから。

確かに岡村さんに関しても韓国の一部の女性にも異性のことを一元的に敵だと考える認知のゆがみがあります。これらは、批判されるべきものであると思います。しかし、そのような考えに至った原体験を知ると、否定されるべきは今の思考そのものよりも、そのような思考に至らしめた経験を与えた側にあるのだということもまた見えてくるのです。

岡村さん自身、自分のコンプレックスが解決できなければ、この問題について本当に悪かったとは思えないと思います。岡村さんのコンプレックスを包んであげられるのは矢部さんでもないし、やっぱり岡村さんの性自認から考えると女性なんだと思います。しかし、求める女性に受け入れてほしい受け入れ方では受け入れてもらえないという思いも強い。同じように韓国でフェミニズムを叫ぶ女性の一部にも、小さいころから見た目で男性から否定された言動を受けてきたせいで、大人になってもコンプレックスが解決できず強い行動に出ている人もいると思います。韓国は見た目に非常に高い同一性が求められる国ですので、人よりもふくよかであったり、ひとよりも顔の美醜の評価を口出して評価されることは多くの人が経験することで、大きなコンプレックスのもとになるものだと思います。

このように、度が過ぎた思想には、異性へのコンプレックスがあるにもかかわらず、その異性によってコンプレックスの解決が難しい背景があるため、男女間の葛藤はなかなか解決策はなかなか見つからないと思います。

自分の認知を変えられるよう、自分自身で考えを変えていく努力や、他人から自分の考えの固まっている部分を指摘される必要がありますが、コンプレックス部分がある以上、岡村さんをこれ以上責めたり、つらい経験をしてきた女性を行き過ぎていると責めるのはかえって論理武装を強めるだけだと思います。

岡村さんは、これから、自分の核の部分と向き合うという精神的につらい段階が待ち受けていると思いますが、向き合うも向き合わないも、彼自身の問題なので、これ以上は難しいのかなと思います。

韓国フェミニズムも、表面的な男性攻撃を非難するだけよりも、その根底にあるものに思いを寄せてみると、また、違った景色が見えるのかもしれません。

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