日韓問題についてどう思うかと言われれば「言うことはない」

このウェブページでは何となく重い感じの記事となんとなく軽い感じの記事を書いているが、重いほうの記事についてなんでそんなこと書いてんのか?ってことを書いておこうと思う。興味ない人は無視してください。

      近現代は歴史として語ることは困難だ

韓国で酒を飲んだり、多少関係が深まれば出てくる話が慰安婦であり竹島問題。そこではもう自分が日本人代表であり、相手が韓国代表だ。私は政治をするつもりはないのでひたすら聞くだけで自分の意見は言わない。言えと言われても何も言わないよ、と。
私の立場は昔の日本人の子孫であるというだけだ。なぜ何も言わないのか。慰安婦はすでに政治領域だからだ。歴史という客観性を持つことは不可能だと思う。日韓、日中の間においては。

この時点でもう平行線になる。

政治(ゲーム参加者)と歴史(勝負の結果)は昔からそうであったが表裏一体である。半島に住む人が無知な島国の人に知ってもらいたい歴史には政治がべったりくっついているのでお話が一方通行だ。私には政治家の言っていることを繰り返すどおりはないし、(ゲーム参加者ではない)歴史を語る知識も資格もない。このことについて語れる人が存在するだろうか。

悪いことは悪いことだ、とか、人権侵害だ、という正義(ルール)の言葉の中にすでに政治の思惑が入っている以上、正義ではない(ルールとして体裁を保っていない)。でも、それは絶対通じない。それは加害者側の役割を任されたほうが言えたことではない(負けた側がルールについて文句をつけることは感情を逆なですることだ)。だから言える話がない。
これだけのことを正確に理解してくれることを期待するのも加害者側がすることではないと思い、無言になるのみである。

ここまでで「言うことはない」という意味の説明は終わり。

じゃ、私が見ているものは何か。私が興味があるのは彼らが話す正義の中にほころびや都合のいい解釈があることだ。それがわるいから興味があるわけではない。それが人間らしいからおもしろいのだ。それはもちろん島国に住む自分にもあるから反射することも多い。

記者や新聞社も欲があって慰安婦問題を取り上げた。そもそも日本からまいた種。それを朝鮮半島の南側の政治側がみんなでゲーム参加したらもっと盛り上がるぞ!と盛り上げた。みんなで歴史を掘り返したら楽しいぞ!と。朝鮮半島や大陸において祖先を大事にしようとか、愛国心とか、それらが持っている正義的な善と思われてきた正義(ルール)が暴走したり、実は違った現実がちらつくとすごく興味深い。島国に住む自分から見てだけれども、善ではない人間らしさを見てしまうとうれしくなってしまうのである。だって、それは自分もあるから。それは共通項なのだから。平たく言えば「えらそうなこと言ってるけど、結局やってることはひどいじゃん。」って部分は同じ。だって、みんな自分を守りたいって部分少なからずあるでしょ。

私の書く文章に悪意はないが、みていて気持ち悪い部分があると思う。自分もわかる。その気持ち悪さを消化することで「絶対に理解はできない」という前提の上で、多少日韓の理解につながるのではないかと思いこれを書いている。

「違う」ということは「間違い」ではない。でも違うということを理解したり自分の中にしみこませることはできない、理解しようとしたりしみこませようと能動的に動くのみである。そしてその度合いはもちろん人によって違う。だから摩擦が起きる。

      学ぶためではなく、知るために韓国に行った

半島に住む人から見れば、なんか方向性まちがってなくね?と思われると思う。なんか、韓国卑下してるように映るから。わかる。でも、そうじゃない。興味があるっていうのは好きの裏返し。韓国大好きだよ!気持ち悪い好かれ方だろうけど。
学ぶものがないという意味ではないのだけれど、私が行った頃はまだ「近いけど不明な国」だった。なんかよくわかんない!その思いだけだった。結局今は何もしていないし、その時学べたことも活用できてはいないけれど、それでも、ここに書いていることで自分を置いておけたらな、と思う。他人から見れば気持ち悪い自己実現だろう。重々承知だ。

読んでもらえないものも多いけど、それでも、自分はこう思うんだと。そんな思いで書いてるんだなぁ、とこれをかいて知った。自分気持ち悪い。




 

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