https://www.youtube.com/watch?v=8ZnMeWf0LM8
お父さん、今になってわかりました
どうしてそんな風に生きてきたんですか?
これ以上寂しく思わなくて大丈夫です
これからは一緒に行きましょうラップ)おい、俺たちももうだいぶ年取ったな
一人目は社会に出たし、二人目は大学に入った
これからは家族で一緒にいたいけれど
自分は父親だから話しするのはなかなか難しいな
月日の無常さに涙が出るし
子どもたちは忙しそうだ
おい、おれはちょっと散歩でもしてくるぞ一緒に行きましょう
なぜ、この歌が名曲か。
なかなか直接言えない言葉をこの中で聞けるからだ。
人がなくなれば大きな声で泣くし、思っていることを比較的よく話すと思う。しかし、両親の前では違う。
言いたい、けど言えない。想いはあるのに。
おかあさん こう呼んだだけでも なぜこんなに胸がくるしいでしょうか?
全部あげたいのにこれ以上あげられるものがないと嘆くあなたに 僕はいったい何を差し上げられるのでしょうか
でも、これをお母さんに直接言えるわけではない。
だから、歌になる。
上二つほど露骨ではないけどお父さんを待つ子供の気持ち
日本も亭主関白とか言ってた時代があるように、韓国も家庭では男の人は無口である傾向にあったようだ。
お母さんには軍隊に行ってくれば優しく声をかけられるのだけれど、父親だけは違う。
儒教思想によって目上の人には逆らえないし、厳格であるべきとか父も息子も「そうあるべき」ものにしらずにしたがっていたのだろうし、仕事で家にいないのも遠く感じる理由の一つであったっだろう。
最近では親子仲良く話すのがいいことだとされているし、そうしようと親世代も子世代も努力しているようだ。
日本でもそうだが、尊敬するのは両親です、の世代に入ってきている。もう、親よりも多い収入は見込めないから、親ってすごかったんだな、ありがたいなと思う時代になってきた。
韓国はもっと稼いでやる、親なんか追い付け追い越せだ!の世代もあったが、n放棄世代はそんな覇気はない。親を目の敵にするよりよく話し、味方であることを確認する方が生き残りやすい。
追い付け追い越せ世代が特に親との確執が多いように思うし、曲が染みる世代だろう。お互い敵ではないけど目の上のたんこぶのような。息子からしてみれば何かとうるさく、思うようにいかない部分があったり。それが若さが理由なら親には勝てないことを思い知らされて悔しい思いもする。
息子も苦労して丸くなったところで一緒に散歩にいきましょうといえそうだと思ったら、たおれたりして。言えなかった、とか。それぞれの想いを歌に重ねる。
親をおもってぎゅうっとなるのはみんな同じだ。大好きだよと言えるのもひとつの幸せだし、言えなかったな、と後悔するのも同じ愛情にちがいない。言葉にできなかった愛情を曲を通して確認するのだ。
Psyの歌が名曲であるということは、同じ想いを持つひとが韓国には多いということを表している。
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