江南駅殺人事件から韓国の女性差別と女性嫌悪について思うこと

何日も前から書けなかった。
韓国は加湿器事故と江南駅の女性殺人のニュースで染まっているのだが、私はカンナムのことに関して考えがまとまらず、ただ流れてくる警察の発表や江南駅の様子を写真で見るしかなかった。
もう韓国にいない以上、こういった大きなことが起こったとき韓国を肌で感じることができないのだ。

このニュースを読んで一番初めに感じたことは「よく生きて帰ってこれたな、韓国から。」だった。韓国で一人で暮らし、よく殺されなかったな、私も殺されてたかもな、だった。



「女だから殺された。男だから生き残った。」

事件の翌日ぐらいからよく見た文言だ。そして、この言葉の持つエネルギーは、強い。

通り魔殺人自体は韓国に限ったことではないし、日本にもないわけではないだろうけど、今回の事件は韓国社会全体が堪えた。江南駅というソウルの中の大きな町のひとつで起こった事件。男女共用のビルのトイレに入り、犯人は一時間も女性が来るのを待ち続けた。潜伏途中数人の男性が入ってきても何もせず、ただ女性が入ってくるのを待っていた。そこに運悪く入った女性は殺された。

女性嫌悪ではなく精神疾患患者による犯行という警察の発表。
腑に落ちなかった。でも、何が腑に落ちなかったのかということもよくわからなかった。

過去の症例を並べ、これだけいろいろな被害妄想があったと警察はまず述べた。犯人は、風呂に入らず、自分自身を清潔に保つこともできず、飲食店のバイトを首になったようだ。精神病院から退院後薬も飲んでおらずアルバイトをしていた5月初旬にはかなり精神状態が悪化していたようだ、と警察は話す。

フェイスブックのコメントには、「狂った精神病患者のしでかしたことだ。」「こんな狂ったやつは閉じ込めて管理するべきだ」「国のお金で生き延びさせておく必要もない」というコメントが目に付く。

ウェブ上で詩を発表しているハサンウクのツイートを読んで何となくわかったような気もしたけど、何かつかみきれない。

女性に無視されたは女性にまで無視されたのように感じた。無視されたとは言っているけど本当は自分が無視されていたから女性に対して我慢ならなかったのだろう。嫌悪していたというけれど実際は差別していたんだろう。

何がわからないのだろうか。

      韓国の女性嫌悪とは何か?

韓国の女性差別の代表的な言葉としてキムチ女をあげることができる。
ただ単に韓国の女性を指す言葉としても使われていたが、差別的な意味を込めて使うときには、

  • 女性の権利だけを叫び
  • 自分に不利な時に男女平等を叫び
  • 男性をお金としてしか考えず
  • 女はいいけど男はだめという二重の基準をもつ

女という意味が含まれているという。
これは日本でも理解できる。

韓国男性たちが一般的な韓国女性にたいしてこのようなイメージを持ち、それがよくないと考えることを女性嫌悪というというのが大まかな言葉の説明だ。

で、今回の事件はこのような考えによって犯された犯罪なのだろうか?
韓国社会が特別ではないけれども女性差別はある。日本ももちろんあるけど韓国は露骨にある。アイドルグループ見てみればわかる。なんであんなに腰振るの?それを喜んでいるのは誰?女の子にも人気があるのがカールグループだよという反論もあるだろう。ではなぜあんなに女性という性を強調しなければならないのだろうか。性的なものに拒否反応を見せる割には男は女に女であることを強調するよう強要するし、女側もそれを進んでではないにしても女が女であることを引き受けている部分があるように感じる。外見的なことにおいて特にそうだ。ある部分ではそれでうまく回っているのだと思う。男性は満足できるし女性はちやほやされることでお互い満たされる。

しかし、男性側が満足できない場合がある。具体的に言えば、気に入った女性がいない、気に入った女性に振り向いてもらえないというようなほしいのに手に入らないという葛藤が生じてしまう。女性を嫌悪しながら本当は女性を求めているという。そんな感情の間で今回のような女性の弱さにつけこんだ悲しい事件が起こってしまったというこのサイトの分析は私を多少納得させてくれた。

韓国社会について書かれている部分を少し翻訳する。

韓国は数十年前まで夫に暴力を振るわれるのがおかしくない社会であった。今の2,30代はそれをみて育ったし、いつのまにか男性の下に女性がいるという認識があることは否定できない。社会は発展し、夫からの暴力はおかしいといえる社会になった。しかし、比較的平等意識があると思われる世代に上のような新しい女性嫌悪意識が現れてきた。女性たちは単純化してすべての男性がこのように考えていると考え、男性を嫌悪することにすれば混乱せずに済むのだ。

「女だから殺された。男だから生き残った。」

この言葉を使えば、弱者の女性は一気に強者へとのし上がれる。

ソウルだけでなく各地で被害者女性に対するろうそく集会や死を悼む集会が行われたというニュースを聞き、正直また始まった、と思った。ことが起こった時だけ集まりそして瞬時に忘れていく。いつものやつだ、と。

しかし、この動画を見て正直驚いた。

静かだ。

このサイトは直接江南駅におもむき、ここにきている女性にインタビューしようと考えていたらしいのだが、すべて断られたという。インタビューだけはできても写真を撮ってもいいなどと言ってくれた人は一人もいなかったそうだ。いつもなら、出たがりやうるさくしている人がいるのに。それがいなかったという。

そこには、女性と男性という二種類の人間がいたと書いている。

女性たちはインタビューには答えず、ポストイットのメモ用紙を貼り付け、自分の思いを書いていき、また一人一人の思いを読むためにそこに立ち尽くしている。女性たちはなぜインタビューに答えなかったのか。それは恐怖。実際インタビューしようとして声をかけると話も聞かず拒絶する人が名刺を渡すと女性たちはその名刺をほかの現場とは異なって隅々まで見たという。この男はいったい何者なのか?と。


ただ、すべての女性がこの事件をきっかけに男性嫌悪になっているとは思えない。だって、女性にとっての愛する人もまた(いろいろな人がいるけど)男性だから。男性アイドルが好きで、夫がいて、彼氏がいて、兄弟がいて、そういう人がほとんどなはずだから。確かに「女性だから死んだ。男性だから生き残った」といえば男性を黙らせることができるかもしれない。「女性だから死んだ。男性で精神病だから生き残った」といえば、精神病患者を隔離し社会からはなしてしまえば簡単な話と思われるかもしれない。でも隔離しても実は何も解決していないというのは、簡単にわかる。これはそれぞれに勝負をつけるゲームではないのだ。

今回の事件が女性嫌悪か精神疾患によるものかどちらか白黒つけることには実は私は興味がない。韓国社会がどう受け止めたのかを見たかっただけだ。
ここで扱った女性嫌悪をたてにして声を上げる女性人権団体や、精神疾患者を隔離しておけばいいというような考えは、極端な考えで一部の人ともいえるかもしれない。しかし、この事件によって様々な人が様々な考えを巡らせたことをみることは大変興味深かった。
被害者の彼女の死によって多くの人が多くのことを考えた。
韓国だけでないが、決して生きやすい社会とは言えない。もしかしたら自分に危害を与えてくる人が近くにいるかもしれない。そう感じることになったこの事件は不安を増大させるが、そこから思考停止にはなってはいけないのだ、と感じた事件だった。

 

追記:ここでは男性側の分析を行っていますが、女性の反応の理由をこちらにまとめています。今回の事件をより知りたい方はこちらも併せてごらんください。チャンソンがツイッターで言った韓国の問題が何なのか糸口を見つけることができるかもしれません。

トップ写真は [분석]강남역 살인 사건을 둘러싼 논쟁 : 사람들은 왜 싸우는가から。

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